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2007年05月09日(水)更新

忘れられない、愛車への思い(3代話):その3

男の子なら動くもの、特に乗り物に興味を覚えるのは当たり前かもしれない。
自転車に明け暮れた中学、高校、そしてバイク一辺倒だった大学時代。

美大で工業デザインを志していた(実際はほとんど勉強せず、バイクの改造と
ロックバンドに精を出していた)私も就職活動時期を向かえ、やはり「乗り物」
のデザインがやりたい、と先輩が毎年入社している自動車会社の面接を受け
た。
夏休みに、横須賀にあるその会社に実技の面接を受けに行くと3時間で自転
車のパース(斜めから見た立体図)を実物を見ないで鉛筆デッサンせよ、とい
うものだった。
当然自転車少年だった自分には苦もない課題。1時間程度で仕上げ、途中で
見に来た部長さんも「あっ君、もう描けるの判ったからもう帰って良いよ、じゃあ
あとは秋に人事面接受けて、卒業制作がんばって春に会おうね」と事実上の
内定をくださった。
ところが秋の人事面接官はなにやら他人行儀。他の応募者と違い、私はすで
に内定が出ているから事務的なのかと思ったら、翌週とどいた通知はなんと、
「不採用」。
あわてて先輩に電話をすると「ああごめん。ウチの会社は興信所調査するんだ」
とのこと。ちょっとだけ(当人比)音の大きめなバイクで夜中にアパートの出入り
していたのだが、やはり近所の印象は良くなかったのだと反省。
教授にもこっぴどく叱られた。まあ、悔やんでも仕方がない。

教授からは、もう僕の推薦枠は残っていないので、そこに来ているDMの中で
受けたいところがあれば武士の情けでもう一度だけ推薦状は書いてあげる、と
言われ、手に取ったのが最初の会社、日本テキサス・インスツルメンツの募集
書類だった。

前回のことがあるので面接はとても緊張したが、結果はすぐに出て「採用」との
こと。

はたして年度が改まって晴れて入社した私に待ち構えていたもの、それは「試
練」だった。
この会社のデザイン室は、各社から有能な人を引き抜いて作られた、いわば「
レアル・マドリッド」のようなチームだったのだ。

そこにひょこっと、何も仕事ができない新卒が入ったものだから、まったく使えな
いわ、トレーニングするにしても基礎ができていない。
相当手を焼かせてしまったばかりか、私自身もあまりにも仕事ができないことを
実感し、軽い心身症になりかけた。(おかげでタバコが吸えなくなって禁煙の機
会になった)

このデザイン室では、主にアメリカ、ヨーロッパ向けの電卓や教育機器のデザイ
ンを行っていたのだが、なにせ形や色、インターフェイスへのこだわりが半端で
ない。
その秘密は何か?というと、私を採用してくれたデザイン室長(マネージャー)の
根岸秀孝さんが、元々いすゞのカーデザイナーで、初代ジェミニのデザイナーだ
ったのだ。これはいすゞとしてもはじめてのワールドコンセプトカープロジェクトで
それだけでなく根岸さんは当時いすゞから初めてアートセンター、GMに出向した
方だったのだ。

こんな方の下で仕事ができるのはとても光栄なことだったが、なにせディテール
が細かい。
当時よく言われたことは、
「どのようなデザインをしたら競合他社が真似するか考えよ」というものだった。
(要するにトレンドセッターになれということ)
設計図面の情報量はとても電卓のものとは思えず、色のダメ出しもしつこく、モ
デラーや量産工場泣かせだった。

私自身は周囲との実力差を認識しつつも、この会社で自分が役に立つために
どうあればよいのか、その解を見つけるのに10年近くかかった。
リストラが一般的な現代では考えられない。のんびりした時代に助けられた。
今、私がこうしてあるのは、ひとえに根岸さんをはじめとする先輩の「がまん」の
賜物だと思うと本当に頭が上がらない。

しかも、大学の同級生やデザイナーの集まりに参加すると、根岸さんの元で働い
ているというだけで、やたらと羨ましがられることが少なくなかった。
しかし当時の私にはその意味がいまいち理解できず、判明したのはかなり後に
なってから。
たとえば、私にさかのぼること10余年、根岸さんにあこがれて「いすゞ」のデザ
イン室に入ったのが、現ニッサン日産自動車常務執行役員でチーフクリエイティ
ブオフィサーの中村 史郎さんだったのだ。
彼もWEBで根岸さんとの邂逅について触れていた。

http://www.rikuryo.or.jp/home/people/shiro2.html

中村さんはニッサンのCMに出るなど、「ニッサンデザイン」の重要性を説いて
一躍有名になったが、「根岸チルドレン」として多少なりとも同じDNAが流れて
いるかと思うと本当に誇りに感じる。

ニッサンとの縁はこれにとどまらず、後日また不思議な形で結実した。

数年前、ある女性コミュニティサイトのプロデュースの仕事でニッサンデザイン部
を訪問する機会をいただいた。
厳重なセキュリティを幾重にも通過して、やっとお会いできたのは、ティアナの
プロダクトチーフデザイナー、中島敬さんだった。
http://www.ewoman.co.jp/kuruma/people/NakajimaTakashi/01.html

ワンボックスやRVが隆盛の中、ティアナはニッサンとしても久しぶりのセダン企
画。難しい注文ばかりの企画を、「ドライバーの居住空間から考え直す」というユ
ニークなアプローチで見事成功させた方なのだ。

インタビューでも「デザイナーの仕事そのものが変化し、とてつもなく広範に広が
ってきている」というコメントに、今でも強烈な印象を覚えている。

「日本のクルマは品質は良いけど感応性が低い」などとよく言われてきたが、この
10年で明らかに変化してきているのではないだろうか?
父の時代「特別なもの」だったクルマが「生活の一部」となったとき、何が求めら
れるのか?最近のニッサン車は企業の「顔」も見えるようになってきた。とりもなお
さず、「売れるクルマ」とは、その企業なりの「解」を持ったクルマなのだと思う。

来週の週末、いよいよ試乗の機会をいただく。
そんなことを考えながら、DNAの根っこがどこかにないか、探ってみるつもりだ。
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