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2010年12月22日(水)更新

デジタルツールで「ひととつながる」のは錯覚

昨今、「考えない技術」で注目を浴びている若い住職の小池龍之介さんが、一昨日の日本経済新聞のコラム「領空侵犯」でとても興味深い発言をされていて考えさせられるものがありました。

日本経済新聞電子版を講読されている方はこちらから読めます。

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「デジタルツールを通して人と人がつながると言われますが、それは錯覚だ」とおっしゃるのです。
インタビューの概要は以下の通りです。

ネット空間の情報の海の中で誰もが共通して強い関心を抱くものは「自分の所在」。

自分が人からどう扱われているか、大事にしたいと思われているか、凄く気になるのです。
人は他人から認められたいと思う存在なので自分あてのメッセージが生存に役立つ情報だと錯覚されています。
とくにネットではすぐに返事が返ってくることが確認できるのでそのスピードが脳にポジティブなマークを残す。
そこに問題があり逆の状況(すぐに返事が来ない)と不安、不信感や怒りが生じやすくなる。

ネットへの依存が高まると、バーチャルな情報処理量が増え、心の負担が高まり、心が現実とドンドンと離れて行く。
ちっぽけな快感を求め、絶えず情報端末にアクセスするようになる。
ドーパミンによる一瞬の快楽も、依存が高まれば制御できなくなる。

つながりが欲しいという事は、裏を返せばみんな寂しいという事。寂しさが商売のネタになっている。
情報ツールと距離を置かないと、人は現実の身体感覚を忘れ言語だけであれこれ考える『脳内生活』となってしまう。

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確かに情報ツールやネットによって今まで知りえなかった情報を得たり、人との縁を得たり、ビジネスのチャンスが広がったりします。
反面、そこで得た縁や情報を活かすことがどんどん下手になってきている気がします。
ある制作会社のプロデューサーは、物心ついた頃からネットやIT機器に囲まれて育った若い人たちには生活体験が乏しい人が増えてきていて、提案力が弱くお客様に感動や共感を与えられないのでコンペで勝てなくなってきた、と悩んでいました。

人を理解する、共感する、感動する。これらは常に育んでいないと上記のような魔の誘いに囲まれている世の中では簡単に低下してしまうものなのかもしれません。

私の子供たちはバレエやサッカーなど自分がやりたいということをやらせています。もちろんゲームも好きですが、スポーツや表現芸術は出来ること、出来ないこと、出来るようになること、その理由がとてもわかりやすく楽しそうです。反面、小学校ではゲームやメールのやり取り、携帯での話題の共有がないと仲間はずれになる風潮すらあるようで、自分に熱中できるものがない子供は小池さんのおっしゃるような「寂しい脳内生活」にあっという間に取り込まれてしまっています。

ITを駆使して仕事をしている感の強い高城剛さんがかつて「クリエイティビティは移動距離に比例する」と言っていたのがいまだに印象に強く残っています。実際に動く、会いに行く、見てみることが加わって始めて強靭なアイディアが生まれる、ということなのでしょう。

「Real Me」を忘れないように。自分も、家族も、友人も、仕事仲間も。
来年も自分から積極的に動いて、感動指数を養い、「寂しい脳内生活」に陥らないように気をつけようと思いました。
良いタイミングで良い教えをいただきました。