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2006年05月31日(水)更新

日本のネット開拓者(その2)

1996年、企業のインターネット利用が本格化した年だと記憶して
います。
当時、私はインテルでWEBのマネージメントをしていましたが、驚
いたのは広告代理店や制作会社の売込みがものすごく頻繁だった
ことです。
中にはヒアリングもなしにいきなり「提案を見てくれ」とプレゼンをは
じめる会社もありました。

そんな中、早々に本格的なWEB関連サービスをはじめたのがキノ
トロープさんでした。
私自身の在任中は直接お付き合いはありませんでしたが、キノトロ
ープのメンバーの一人坂和敏(さかわはやし)さんが訪問してくれま
した。
ちょうど彼が編集して上梓したばかりの本を持って色々と話をしに
来てくれたのです。

「インターネット 素敵なホームページデザイン」というこの本は、たぶん
日本では最初の本格的な「WEBデザイン集」だったのではないでし
ょうか?

「インターネット 素敵なホームページデザイン」坂和 敏

今見れば、紹介されていた会社のデザインそのものは荒さが目立つ
ものばかりかもしれませんが、着眼点やデザインのポイントなど、坂
和さんやキノトロープの方々の丁寧な解説が添えられていたことも
大きかったと思います。
(アマゾンやブックオフでもたまに見かけます)

インテルそのものはワールドワイドにインターフェイスの統制を図って
いたのでなかなか自由な表現はできませんでしたが、私自身がデザ
イン出身ということもあり、まだまだ制約が多かったインターネット技
術の中で、どれだけ表現できるか?というアイディアの発露が詰まっ
ていて、とても刺激になったことを覚えています。

先日の山村さん同様、坂和さんともそれっきりで、その後のご活躍は
ずっと拝見しているのですが、お会いする機会に恵まれず10年経って
しまいました。

あのとき余分に1冊お借りして本社に送ったのですがその代金をいまだ
お支払いしていないのが心に引っかかっています。
どこかで機会があれば3850円お支払いします、とこの場でお詫びを
申し上げます。(恥)

2006年05月30日(火)更新

インターネット7日間の旅

インターネット7日間の旅―バーチャルに体験する情報スーパーハイウェイ

インターネットに関わるビジネスを行っていると、常に前を向かなければ
追いつかない、という感もあります。
だけど温故知新で、時々その源泉に触れてみることで、意外な空白や
ヒントを得ることもあります。

この本は1994年、日本のインターネット創成期に出版された本のひと
つです。(今見るとタイトルがちょっと恥ずかしいですが)
著者の武邑光裕さんも伊藤穰一さんも、今でも活躍されている方々です
が、「各ジャンルを7つのチャプターに分けて訪問する」というコンセプトで
当時はまだまだ気楽につなげて見られる環境になかったインターネットを
とてもわかりやすく紹介していました。
当時の上司や経営の方々に、この本を良く勧めたことを思い出します。

それ以降、このようにわかりやすい本はあまり生まれなくなってしまいま
した。
人々は競って先を見ることばかり、のような気がします。
企業ブログでもRSSでもマッシュアップでも、それらの延長線上としての
WEB2.0でも何でもいいのですが、「それが私たちに及ぼす影響って?」
というところをわかりやすく書いた本がまだなかなか見当たらない気がし
ます。

10年ちょっと経って、やっと自分達で考える(考えざるを得ない)時期に
来たような気がします。
今度は本ではなくて、ここのようなブログポータルが、そんな知見を共有
するプラットフォームになるのかもしれませんね。

2006年05月29日(月)更新

評判作りセミナー

先週の金曜日、5月26日、PRコンビナート社主催の「評判づくり
研究会」にパネルのモデレーターとして参加してきました。

PRコンビナート

評判づくり研究会

「ブログを活用した企業の評判づくり」というテーマで、ヤマハ株式
会社 eヤマハ室 プロデュースグループ マネージャーの鞍掛靖
さん、ニフティ株式会社 広報室 室長 津田正利さん、株式会社
ワイズワークスプロジェクト 代表取締役 鍋島日之樹さんをお迎
えしてパネルディスカッションを行いました。
PRコンビナートさんはすでに丸4年、このサロン形式の研究会を
おこなっていらっしゃり、参加されている方々も、かなり意識の高い
ようで、初モデレーターとしてもかなり緊張を強いられました。

そのこともあって、ちょっと早めに会場入りし、楽屋で上記のお三方
と軽く事前にお話を伺ったのですが、思わず話が盛り上がり、本番
では時間と話の流れで割愛せざるを得ないような状況でした。
いわゆる「楽屋落ち」ですが、ここでいろんなお話が伺えたことで、
本番はとても楽になりました。

今、「社長ブログ」や「企業ブログ」が話題になっていますが、それ
ぞれお三方からは、「さすが!」というエピソードが伺えました。

鞍掛さんのいらっしゃるヤマハでは、社員の中に面白い方がいらっ
しゃって、「組織が大きくなるとそれぞれの部門でやっていることを
社員はあまり知らない。それぞれの活動を調査、報告するブログを
最初はイントラで初め、それを社外向けにもスタートした。」とのこと。

これは今後の広報や企業ホームページのあり方を考える上でも大
きなヒントになりました。
この社員の方は、すでに自社製品の顧客(ファン)のブログページを
調査し、社内イントラにフィードバックしているそうです。
今後は会社からこのような顧客(ファン)ブログへのアプローチもでき
そうですね。

ニフティの津田さんはおもに社長ブログのお話が中心でした。
ちょっと前の雑誌「PRIR」にも登場されていた社長の古河さんは、
基本的に全てご自身で考え、書かれており、先般、ココログのトラブ
ル対応に対し、批判を受け止めることと、きちんと対応することを率先
して行いました。
現時点でも、その渦中にあり(100近いトラックバック!)、かなり生々
しいお話でした。
しかし、良いときも悪いときも、正直に続けることで、つらいけどいつか
わかってもらえるときに固いブランドロイヤリティを築くことができる、と
いう信念を感じました。

鍋島さんは企業に対してブログ活用をサポートするお立場ですが、ブ
ログ導入の提案を通して、企業が気がつかない点在している情報資
産を結びつけ、企業価値や商品価値の向上に結びつける、というお話
が印象的でした。

2006年05月26日(金)更新

日本のネット開拓者(その1)

幸いにも、日本での商用利用の最初期からインターネットに関わる
ことができたので、今までにインターネット上で起きたことをいろ
いろと身近に感じることができました。

そんな中で出会った方々(久米さんももちろんその一人ですが)とのエ
ピソードをいくつか紹介して行こうと思います。
インターネット系の大掛かりなイベントの筆頭といえるのが「インタロ
ップ」という展示会で、1996年、その第1回が幕張メッセで行われ
たとき、私自身も当時の会社として展示企画に関わりました。

今までの展示会と違い、天井からぶっといネットワークケーブルが
いっぱい降りてきて中央に組まれたサーバーラックにつながり、けっ
こう興奮したものです。
そのとき偶然、名刺交換してご挨拶したのが現在、エキサイト株式
会社の代表取締役社長である山村幸弘さんです。

山村さんとはその後、1,2度メールか電話でお話をしましたが、それ
っきりで、もちろん覚えていらっしゃらないと思います。

当時、山村さんはトランスコスモスにいらっしゃって、面白い物を紹介
されていて、それが印象的でいまだに覚えているのです。

山村さんは、一枚のフロッピーを見せてくださいました。
米国で成功したEマーケティングサービスで、そのフロッピーはリーボ
ックのスニーカーを買うと、靴箱に同梱されているものです。

そのフロッピーをPCに入れてファイルをクリックすると、特設WEBに
つながり、ID、パスワードを入れるとメンバーだけの情報が入手できる
というものです。

今では別に珍しいものではありませんが、当時リアルとネットをつなぐ
というアイディアは画期的で、何かのヒントになるか、としばらくそのフ
ロッピーのサンプルを大事に持っていました。

山村さんは、その後も大きなチャレンジを続けられ、親会社の米国エキ
サイトがアットホームに買収され、さらに経営破綻に陥ったり、というなか、
当時の筆頭株主である伊藤忠商事からほとんどの株式を取得して独立
という離れ業をやってのけられました。

僕自身、10年お会いしていないのですが、印象は当時のほうがふけて
いた(失礼)感じです。
私自身もそうありたいなあとひそかにあこがれています。

山村幸広ブログ

2006年05月25日(木)更新

イエローカード

昨日、会社でイエローカードを出しました。
自分と社員に対してです。

私自身、いままで、社員との関係において色々なことを経験して
きたので、今の組織では、いきなりサラリーマン時代のハイスタン
ダード導入することはやめつつも、段階的に「気持ちの共有」を心
がけてきました。
結果、かなり自主的に「考えて動く」組織になっていて、充実して
いるのですが、それでも少しずつ組織を伸ばしていこうと考えると
色々見直していかなければならないことがでてくるようです。

山本五十六元帥の言葉で「やってみせ、言って聞かせて、させて
みせ、ほめてやらねば、人は動かじ」というのがありますが、ほめ
るだけでなく、仕事をやった結果、お客様や上司、同僚から「あり
がとう」という言葉をいただくことの意味を理解してもらうことも大事
だと思いました。

昨年ある会合で知り合った学生がいるのですが、彼は当時すでに
外資系の車メーカーに就職が決まっていて、この4月から働きはじ
めました。
時々ランチをするのですが、先日、面白いものを見せてくれました。
他の会社でも時々見受けますが、その会社でも会社のミッションと
か、バリューとかを書いたカードの束を社員に配っており、常に見
返して行動規範とするようにしているのだそうです。
ただ、面白かったのはそのカードの最後の2枚は何も書いておらず、
その代わり色が黄色と赤、なのです。

すなわち、仕事をしている中で、部下の行動やアウトプットに問題
があったとき、上司はイエローカードを出して宣言できるのだそうで
す。社員全員に渡しているということは、誰に対しても出せるという
ことなのかもしれません。勇気は要りますが画期的ですよね。

マネージャーになると、問題が起きたときに「どのタイミングでどう叱
るか」とか「その結果、どのようになって欲しいか」とか「他のメンバー
のことを考えると最善のアクションは何か」など、色々瞬時に考えて
しまい、逆にタイミングを失ったり、はっきり伝えられなかったりするこ
とがあります。

そんな時、こんなイエローカードを持っていれば意思表示を明るくは
っきり伝えることができて便利だろうなあ、と思いました。

なかなかスマートなアイディア!
きっと意思決定のすばやい組織なんでしょう。

2006年05月24日(水)更新

趣味の効用 その2

気がついたら生まれてから学校を卒業するまで費やした時間を
就職してから今に到る時間が追い越してしまいました。

先日も久しぶりにバンドの練習があり、一緒に演っている仲間も
音楽も、20数年前とまったく変わっていないことに愕然とする自
分です。

なんら精進せず続けている、ただそれだけのことなのですが、本
当に驚異だとおもいます。

昨日に続いてし趣味の話になりますが、大人の趣味というのは
結構お金がかかる(かける)ものだったりしますが、音楽は本当
にお金がかからず、楽しめる趣味だと思います。
ドラムをフルセットもてる環境ではないにしても、自分の楽器(ス
ネアドラムとキックペダル)だって、充分良いものを買っても10万
でおつりがきますし、僕自身もそれを20年使い続けています。

ギターだって同様です。本当にコレクションレベルのものでも、
100万ぐらい、とすれば、(直接価値の比較はできないけど、額面
だけでいえば)車やファッション、旅行などに入れ込むことを考えれ
ば比べて格段に安いのではないでしょうか?

先日も子供をつれて閉館間際の交通博物館に遊びに行った帰り、
御茶ノ水の楽器屋さん街を久しぶりに歩いてきました。

きらきらした目でギターを見上げている同世代の人たちの顔はみんな
素敵でした。

2006年05月23日(火)更新

趣味の効用

結婚してから子供が生まれる前、すなわち15年前から8年前まで、
私たち夫婦は軽い病気にかかっていました。
それは一種の「収集病」というもので、気がつけば「なんでこんなに
モノがあふれかえっているの?」という状況でした。

子供が出来てからも、そもそも家の中がおもちゃ屋さんのような状
況で「これらはオモチャのようでオモチャではない」ということを子供
にわかってもらうのが大変でした。
うちにあふれかえっているのは、以下のようなものです。

・ベークライト(戦前の古いプラスチックの元祖)製品
・3D写真およびビューマスター
・お風呂で遊ぶゴムのアヒル
・アールデコ小品およびグラフィック
・スペース(宇宙もの)トーイ
・CDおよびレコード

こんなことをしている一番の弊害はもちろん散財ですが、わずかながら
メリットがあるとすれば、それはモノを見る目を養うことができる、という
ことです。

こんなご縁で知り合った骨董の先生は気さくな方で夫婦とも可愛がって
いただいているのですが、いわゆる「目キキ」になるのには近道はない、
「本物をたくさん見る」ことと「黙って自腹で100個集める」ことだ、とおっ
しゃっていました。

そうすると骨董市やフリーマーケットを歩いていても、探していたものが
向こうから声をかけてくるようになる、という感覚になるのだそうです。

企業のWEB活用のお手伝いの仕事をしているので、どんな会社がど
んなWEBを持って活用しているかを常に調べまわっています。
これもニュアンスとしては上記のコレクションと同じで、毎日見ているこ
とで嗅覚が発達します。
「どんな仕掛けがあるのか?」、「何が狙いか?」はまだよいとしても、
時々「往々にしてこういうところはリンクミスがおきやすい」というものを
ズバリ見つけたりもします。

散財の言い訳をむりやり仕事にすげ替えたようなオチですが、「感覚値
は数をこなすことで定量化できる」という論理をコレクションから学びまし
た。

幸い、子供が出来てから夫婦ともにかなり病気(というか催眠)から目
覚めてきて、今はかなりの勢いでコレクションの整理をしようかと考え
ています。

戒めのために家内のコレクションを開示します。(画面の数倍あります)
ゴムのアヒル

2006年05月22日(月)更新

どんな会議をしていますか?

今回のお題に対するお返事は、現在の自分の会社、というよりも
勤めていた頃の経験談になります。もっとも、エッセンスは今の
自分の会社でも継承し、効果はでています。

都合2社でサラリーマン経験をもつ私ですが、それぞれの会社に
素晴らしい理念、ビジネスモデル、教育システム、仕事のルール
がありました。

しかし一番大きく違ったのが、「会議の持ち方」でした。
転職後、2社目の会社で偶然に以前の会社でもおせわになった広告
代理店のアカウントの方とお会いすることができた時の彼のコメン
トが今でもわすれられません。
「雨宮さん、I社は楽ですよね。3時のミーティングと言うと、確
実に4時に終わるので5時からもう一本アポを入れられる。だけど
T社の場合は終わりが見えないので恐くて次のアポを入れられない」
というものです。

会議の進め方に付いて、いろいろなベストセラーが出ていたり、セ
ミナーもありますが、私自身の経験では、その2社目でお世話にな
った会社ほど、徹底して実践している組織を見たことがありません。
「なるほど、勝っている会社と言うのはこのようなことをやってい
るのか」と思いました。

通常、「効率的な会議」とか「生産的な会議」というと、会議その
もののあり方を徹底的に見直します。
しかし、1時間で終わる会議のために、その会社は周到な用意をし
ます。事前の仕込み、あるいは事後、どう次につなげるか?の意識
がはっきりしているのです。
つまり、会議そのものをどうするか?というよりも、「あくまで
ビジネスをどう効率良くすすめるために会議はどうあるべきか」と、
システムとして会議を突き詰めていった結果だ、ということなの
です。

そこには、パワーゲームも、足の引っ張りあいも、無言のやり過ご
しもありませんでした。
具体的な方法論はその会社のIPに関わることなのでここには詳細に
書くことはできません。

もし、このブログをお読みの経営者の方や経営企画、広報の方で、
「どうしても聞きたい」という方がいらっしゃれば、お話差し上
げることも可能です。(対価は要求いたしません)
気軽にお問い合わせ下さい。
ロジックや仕組みを理解することはとても簡単です。しかし全社的
に導入するところまで構築しなければ、ビジネスに影響するまでの
効果は見込めないと思います。

2006年05月19日(金)更新

■景気回復、実感していますか?■

今、ベストセラーになっている「千円札を拾うな」にも、同様のエッセンス
が語られていますが、目前の資金繰りを考えると、「いただける仕事は
ことわらない」というような姿勢に、つい、なびいてしまいがちです。

自戒も込めて書くと、やはり毎年1、2本は、売り上げにはなったけど、
やるべきではなかった、という仕事が必ずあります。
それは、仕事そのものの内容以前に、その会社にとって、その仕事をす
ることが本当にベストなのか?という疑問を抱くからです。

「景気の回復を感じるか?」というお題をいただいていますが、まさに「や
るべきか判断を迫られる仕事が多くなってきた」というのが、私が感じる
景気回復です。
景気の回復はそれだけ変な余裕を生んでいるのかもしれません。
本来、「尻に火がつかないと動かない」というように、人はぎりぎりになら
ないとなかなか大切な判断をしない気がします。
結局、少し余裕が出てきたから、なかなかできなかった仕事に着手しよ
うか、となるわけですが、そんなときにこそ、熟慮断行の姿勢が問われる
と思うのです。

むかしお世話になった外資系企業は、業績が好調のときに業務プロセス
を徹底的に見直し、リストラを敢行しました。業績が良いので、解雇する
人間にも十分な基幹と教育と手当てを与えられるので、ぎりぎりの状態で
「会社が大変な状況なので、解雇するけど一緒に痛みわけだよ」といって
ろくな対応ができない企業と比較すれば(あくまで相対的な比較だけど)
あまり問題も発生しにくかったようです。

今までもお仕事の依頼をいただきながら、「その状況だと、このままやって
も無駄になるので今一度、少し時間とをとって考え直したらどうか?」と
ご助言差し上げたこともあります。(儲からないのですが)

経験から、だまってやって、その後のことに責任が取れなくなることのほう
が問題だと感じています。

2006年05月18日(木)更新

日本プラモデル興亡史

本屋さんを覗いていて思わず手にとってしまいました。

小学校から中学校にかけて、私の青春はプラモデルとともにあった、
といっても過言ではありませんでした。
高校に進学し、将来何を目指すのか、決めあぐねていた私に、工作
やものづくりが好きなら意匠設計にすすんだらどうか?と勧めてくれ
たのも、そんな私を見ていた(あきれていた)母でした。
ベッドの下は未制作のプラモデルのストックでいつも埋まっているよ
うな状態でした。

これはそんな時代に一瞬でフィードバックさせてしまうような本です。
当時、スケールモデル(特に戦車)などの改造ばかりやっていたの
ですが、「タミヤニュース」という田宮模型から出されている小冊子
を目を皿のようにして見ていたのですが、特に開発者や金型設計者
のインタビューなど、琴線に触れるものが少なくありませんでした。

単にプラモデルを作る、それで遊ぶ、というだけでなく、このころは
「ものづくりの思いに触れる・伝える」という楽しみがあったような気が
します。

その頃読んだエピソードで、いまだに忘れられないのは(この本の中
では触れられていませんが)、こんなコメントでした。
「本物を計測したり、本物の設計図面が有ったとしても、それをスケー
ルダウンすればよいというわけではないんですよ。35分の1にしてみ
たとき、堂々と見える、大きく見える、強そうに見える、早そうに見える、
などの感覚値を盛り込んでディフォルメしていくんです」

最近は超精密に彩色を施した食玩がコンビニで売られていて、つい
手が伸びそうになりますが、このような思いを引き継いでいると思うと
少しうれしくなります。

日本プラモデル興亡史―子供たちの昭和史
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会社概要

1999年2月創業。 ビジネスにおけるインターネット活用経験は日本のインターネットの発展の変遷とほぼ同期しており、豊富な経験を有する。 主宰者は企業広報から自己啓発でWEBマスターになった経験から、今後オンラインを中心とした企業コミュニケーションが重要になるとの思いで独立、創業した。...

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個人プロフィール

美術大学デザイン科を卒業後、12年間工業デザイナーを勤める。当時勤めていた外資系メーカーで本社出張を重ねるうち、本社の親組織で行っている「コーポレートコミュニケーション」の役割と重要性に魅了され、セルフリストラして広報部に社内転職。自ら部門を超越した「コーポレートコミュニケーション」を実践する...

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