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2006年08月31日(木)更新

戦前に完成していた日本のデザイン表現の力強さ

実は先日書いた岡本太郎美術館の後、同じ川崎にある川崎市民
ミュージアムに行きました。

ここでやってたのが

名取洋之助と日本工房〔1931-45〕
 -報道写真とグラフィック・デザインの青春時代-

という展覧会ですが、ちょっと前に国書刊行会が復刻版をだした
戦前のグラフ雑誌「NIPPON」に関わった写真家とデザイン工房
の展覧会です。

復刻版(1シリーズ10万、3シリーズフルに買うと32万円)もその
場で手にとってみることが出来たし(すごく欲しかったけど32万は
出せない。。。)非常に出来の良いカタログ(2500円)も買えたの
で、もう満足でした。

http://home.catv.ne.jp/hh/kcm/

http://www.kokusho.co.jp/series/nippon.htm
戦前のトップクラスの日本の写真家、グラフィックデザイナー、
アートディレクターが集まって世界に問うたものですから、本当に
その時代のフォーチュンやライフの編集デザインに引けをとってい
ませんでした。

今でもまったく古臭く見えない。
考え方の骨格の太さがちがう、という感じでした。

復刊するにも資料を集めるのに相当苦労された、と聞いていたので
それに付随する資料がこれだけ一堂に見られる機会はそうないと思
います。

これ、今週末までなんですが、ビジュアルコミュニケーションに関わる
方であればオススメです。

2006年08月30日(水)更新

イントラネット・ブログ活用による社内コミュニケーション活性化セミナー

あっというまに8月も終わりですが、私自身も新学期の始まりに
そわそわ、という感じです。
その理由は、来週、大きなセミナーが2つあるからです。
正直にいうと、「そわそわ」というよりも「どきどき」が本音でしょうか。

ひとつは毎年夏にお世話になっていて、もう5年目ですが、中小企業
大学関西校の「経営管理者コース」。
これは半年に及ぶシリーズの講義で、私の担当は「プレゼンテーション
講習」です。

丸一日ですので、午前中にプレゼンテーションの考え方、準備と実際
をお話しし、午後に(ここがミソなのですが)「短時間に自分の考えをま
とめ、人と分かち合い、結果を得る方法」としてマッピングの実習を行
います。

http://www.smrj.go.jp/inst/kansai/index.html

このセミナーはあらかじめ登録されて期間を通して学ばれている関西の
経営者や後継者の方が対象なのでお誘いできませんが、次のものは
オープンセミナーです。

「イントラネット・ブログ活用による社内コミュニケーション活性化セミナー」
日本経団連主催
http://www.nikkeiren.or.jp/shanaikoho/

こちらも朝から夕方まで、ですが、実習が少ない分、ちょっとヘビーですが
内容は濃いと思います。

==================================================
第1部 日本企業のウェブ活用の現状
・宣伝メディアとしての発展
・担当者の不在と経営者の理解不足
・危機管理面での不備
・コミュニティとの共生

第2部 社内コミュニケーションの現状
・イントラネットの役割
・担当部署の実態
・社内コミュニケーションの課題

第3部 成功する社内コミュニケーションツールとは
・イントラネット
・ブログ
・SNS(ソーシャルネットワークサービス)

第4部 効果の出る導入方法とコミュニケーション教育の必要性
・変わる組織
・コミュニケーショントレーニング
・ゴールの共有
・具体的導入方法

第5部 質疑応答

==================================================

夏休み時期の告知で9月初旬という、セミナーをやるには結構つらい
タイミングなのですが、すでに30名ほど予約いただいているとのこと。
さすがは日本経団連さんです。

会場としては少し広めのところを抑えている、というお話ですので、
もう少し参加人員の余裕はあるそうです。

もしご興味いただければ、ぜひご参加ください。

2006年08月29日(火)更新

芸術は爆発だ!

有名な岡本太郎さんの言葉です。
この一言は大きかった。言葉に力がある。名コピーですね。

いま、村上隆さんの「芸術起業論」を読んでいますが、思えば
岡本太郎さんはずいぶん先を行っていたなあ、と感じます。

日曜日に家族と川崎の生田緑地にある岡本太郎美術館に行っ
てきました。青山骨董どおりにある、彼のアトリエを改造した記
念館は何度かいったことがあるのですが、規模が大きく、彼の
業績が網羅されています。

http://www.taromuseum.jp/
すでに初秋の空気すら漂う日でしたが、緑に囲まれてとても気持
ちの良い場所にありました。(しかも家から15分!)

実は、お目当ては「ウルトラマン伝説展」だったのですが、これは
これで初期の美術スタッフのデザイン画や小道具、怪獣の着ぐる
みや戦闘機のコックピットなど、いろいろ貴重なものが見られ、
子供以上に自分も楽しむことができました。

でも、ウルトラマン以上に、岡本太郎さんの作品や展示はすばら
しく、特に民俗学に興味を持って撮影していた多くの写真などか
ら彼の形や色、発想の原点を読み取ることができます。

今回は時間がなくて緑地内をゆっくり散策することはできなかった
のですが、生田緑地自体も森深く、起伏に富んですばらしい公園
でした。
近々また時間をかけて遊びにいこうと思っています。

2006年08月28日(月)更新

インダストリアル・フォトグラフィーの世界

「インダストリアル・フォトグラフィー(産業写真)」という定義は、コーポレ
ートコミュニケーションの定義や仕事とおなじく、あまり日本では一般化
していないようです。

言ってみれば、産業構造物(建物)や働く現場、そこで働く人々やエグ
ゼクティブのポートレートもこの範疇に入ります。
報道写真の一部もこの定義になるでしょうか。

もちろん定義はともかく、そのような写真は、たくさんあります。

私自身がコーポレートコミュニケーションの仕事に関わり始めたとき、最
初にやり始めたのは主に会社案内や入社案内などの印刷媒体でした。
(→8月22日、奇異なキャリア(その3)参照)
そのとき、たまたま米国から来ていたカメラマン(社員)のエスコートをして
工場めぐりをしたときに彼から教わったのがこの概念でした。

彼は一年中、世界各国のテキサス・インスツルメンツの工場やオフィス、
ビジネスミーティングやレセプション、イベントなどを駆け巡り、写真を撮影
していました。
それらの写真はコーポレートコミュニケーション部にストックされ、アニュアル
レポートから、WEBサイト、会社案内、プレゼンテーションなど、様々なコミ
ュニケーション媒体に利用されます。

彼の写真の撮影方法を見ていて感じたことは「良いことを良く伝える」という
明確な目標のために、かなり作為的というか、ディレクションがはっきりして
いるのです。さらに言うならば、「どう使われるか」を想定してはっきりとした
アートディレクションがあるのです。

彼自身は元々APの報道写真家でしたが、そこからの転身でした。
「インダストリアル・フォトグラフィーを学ぶ一番良い方法」として彼が勧めて
くれたのが、まさに「Industrial Photography」という本(現在絶版)と、
「Business Week」という雑誌でした。
この本に紹介されているキーポイントは一言で言うと、
「どんな会社であろうと、そこで働いている人やその現場にはドラマやメッセ
ージがあふれている。それを上手く表現すること」
となります。

なるほど、そういう視点でBusinessWeek誌を見ると、その明確な意思が
感じられます。
私は数年間、BusinessWeekを定期購読し、記事はほとんど飛ばし読みし、
気に入った写真だけをスクラップブックに集めていますが、日本でコーポレ
ートコミュニケーションの仕事をする上でも、どれだけ助かったか、計り知れ
ません。

それが会社案内であろうとアニュアルであろうと、WEBであろうと、コミュニ
ケーションメディアのアートディレクションをとる上で、その対象者、たとえば
トップマネージメントの方々とインタビューをすると「こんな雰囲気で撮ってさし
あげたい」という思いが浮かんできます。

そんな時、このスクラップブックを一緒に見て、こんな感じに撮影したい、と
話をすると意図が良く伝わります。

カメラマンは私が手配する場合と、お客様が手配する場合、両方ありますが
いずれにせよ「ここは広角でフィルターは云々」などといわれるよりは、「こう
いう意図でこんな写真がほしい」と、スクラップブックを見ながら話をするほう
がプロにとっても気持ちがよいものです。
(そのうえで出来ること、出来ないことも明確に伝えてもらえます)

長くなりましたが、そういうビジュアル(写真)のディレクションが明確に存在
している団体のWEBサイトがあります。
ここを見ていただければ、私のお話した意図がハッキリ伝わると思います。
(特にSpecial Featureのところ)

航空自衛隊入間基地
http://www.mod.go.jp/asdf/iruma/


現場の雰囲気、緊張感、働く人の気概、そんなものがビシビシと伝わってき
ます。

もし企業WEBサイトの管理をされている方がいらっしゃれば、制作会社の
提案のビジュアルの要素を再確認してみると良いでしょう。
安易な「著作権フリー写真」からはそれ以上のものは伝わってきません。
モデルみたいな欧米人なんて働いていないのに。。

2006年08月25日(金)更新

奇異なキャリア(その4)

私が日本テキサス・インスツルメンツで人事採用のホームページを立ち上げたとき、
会社全体のWEBサイトもありませんでしたし、実は米国本社(www.ti.com)も立ち
上がっていませんでした。

このプロジェクトは人事本部長の了解のもとでスタートしたので、社長はおろか、
取締役の方々の認知もありませんでした。
社長は、外部の会合やレセプションで
「あんたの会社はさすが、進んでいるねえ」
と言われてはじめて気がついた、というような状況でした。

当時は、社長や取締役が
「雨宮君、いったい何やったんだ。そのインターネットって奴を見せてくれ」
といってよく私の机を訪問してくださいました。
しかし、悪い噂(?)が広がるのは早いもので、日本で誰かが勝手にパブリックな
WEBサイトを立ち上げた、というのは本国の耳にも入り、私は早々に本社に呼び
出しをくらいました。

行けば当然、
「基本のデザインフォーマットはこれなので早めにこれにそろえて作り直せ」
といわれるのが関の山だと思っていたのですが、集まっていたWEB開発委員会
のメンバーは、私が部屋に入るや否やみんな席を立って拍手で迎えてくれました。
そして、
「私たちはみんなで集まって一緒に考えているところだ。お前は一人でここまで
よくやった。お前の経験をぜひシェアしてくれ。そしてこちらでも一緒に考えてくれ」
といってくれました。

今の自分のモチベーションの基本はここにあるのかもしれません。

企業コミュニケーションとしてWEBサイトを考える。

その基本姿勢が欧米企業には最初から備わっていました。
そして、その差が10年でかなり大きくなってしまったのが日本の企業のWEB
サイトだと思います。

2006年08月24日(木)更新

宣伝担当者育成講座~宣伝会議

昨日はお世話になっている宣伝会議さんの教育事業部主催の
「宣伝担当者育成講座」でセミナーをやらせていただきました。

数えてみると今年18本目のセミナーでした。昨年の実績が27
本で、今年の目標が50本ですから、まあまあ良いペースでき
ているかな、と思っています。

さて、その「宣伝担当者育成講座」ですが、さすが宣伝会議さん
で参加されているかたは総勢で60名近く!しかもほとんどが名
だたる企業の広告部、宣伝部、広報部、マーケティング部などの
方々です。
参加している方が非常に積極的に聞きにに来てくださっている、
というのが熱気として伝わってきました。

このシリーズ、実際には20回ぐらいに分けて企業の宣伝広告
に関する知見を深めていく、というのが目的ですが、私はその
中で
「広告の種類:その4パブリシティ(PR)」
というクラスを担当させていただきました。
実際、上述の通り参加されている方の所属や担当もそれぞれで
すし、同じ部署担当名であってもやっている内容がかなり違うこ
ともあります。

まあ、どう呼ぼうとかまわないのですが、狭義に「宣伝とは?」
「PRとは?」と論じても始まりませんし、このブログで書いている
ように、企業の広報やコミュニケーションは今、大きく変化しつつ
ある、というのが私の考えです。

ですので、今回のお話も、「広告宣伝活動の中でのPR」というより
も、「企業コミュニケーションの中でのパブリシティ(PR)、そして
それがインターネットの登場と活用が起因して大きく変化してきて
いる」というような話にさせていただきました。

講義のあともいつになく多くの方が名刺交換で残ってくださり、色々
なお話をしてくださいました。
私にとっては現場の皆様の生の声を聞く貴重な時間でした。
そして、お話をうかがう中で思うことは、やはり部門を越えて会社
全体でコミュニケーションのことを考えなければいけない時期に来
ているんだなあ、という事でした。

皆さん、今後とも色々情報交換をさせてくださいね。
ご参加ありがとうございました。
よろしくおねがいいたします。

2006年08月23日(水)更新

奇異なキャリア(その3)

1992年当時というのは、まさにインターネット前夜。仕事でパソコンは使い
はじめてはいたものの、ウィンドウズ3.1ですし、ネットワークという概念は
まだ少なかったように思います。

私が着手したのは広報で用意する会社案内(印刷物)の企画制作。そして
ほぼ平行して人事採用用の入社案内でした。米国本社よりのビジョンメッセ
ージのダウンロードにあわせて、それらを包括的に企画することでメッセージ
やトーンを統一するとともに、アートディレクションもシステム化しました。
これにより、重複がなくなるとともに全体感がはっきりと見えるようになって
きました。
これらはいわば基礎となるもので、DMや展示会、プレゼンテーションを監修
するのもとても楽になりました。
社内で部署をまたいでこれだけのディレクションをとっておくだけで、外注費
用のうち、企画に当たる部分はほとんど割愛することが出来、結果かなりの
コストダウンをすることが出来ました。

もうひとつよかったことは、部署に関わらずコミュニケーションマテリアルを作
成するときは、あいつを呼ぶとスムーズで効果的だ、という評判が出来上が
ったことです。
「Give & Given」ではないですが、常に手を差し伸べることで社内の相談が
自然に集まってくるようになりました。

私自身の人件費はもちろんタダではなく、コストセンターアロケーションという
形で各事業部に請求されます。しかしそれを置いても関与させたほうが得、
という判断をいただいたのはとてもうれしいことでした。

この時期、私の属していた広報(およびマーケットコミュニケーション)部では
IMC(統合的マーケティングコミュニケーション)という、マーケティング側から
コミュニケーションを統合化しよう、というビジネス手法の流れが起きていて、
広告代理店、PRエージェンシー、印刷業者、イベント業者など、外部のサポ
ーターを一堂に集め、お互いの役割を理解しつつ協力してこの会社のコミュ
ニケーションの効果を最大化しよう、という合宿を行っていました。

現代ではIMCもコーポレートコミュニケーションの概念の中での揺らぎだった
ととらえる節もありますが、全社的にコミュニケーションを考える素地にはな
ったと思います。

こんなことを2,3年続けていると突然社長から呼び出され、近々行われる
コンファレンスで使うプレゼンテーションの構成とデザインを見てくれ、と言わ
れたり、本社および各工場の人事部長レベルのエグゼクティブが集まる採
用戦略会議に参加してくれ、と言われたるするようになってきました。

元々僕の属していたデザインチームでは、社内のネットワークとは別途に
インターネットのコネクションを持ち、出来たばかりのモザイクナビゲーター
(最初期のブラウザー)のベータバージョンをダウンロードしてはいろいろな
学術系のサイトを覗いたりし始めているところでした。

そんな時、お世話になっていた人事の採用担当の課長さんが、
「雨宮君、うちの採用はいままで、電気系、物理系の学生が多かったんだ
けど、これからは情報系の学生が採りたいんだ。インターネットは情報系の
学生が見ているから、インターネットで採用やったら面白いんじゃないかと
思うんだけど、ホームページって作れる?」とおっしゃいました。

当時はもちろんWEB制作会社なんて存在しませんでしたし、ホームページ
を作るにも参考になるのは「Mozaic Handbook」という洋書ぐらいしかありま
せんでした。
まあ、でも何とかなうrだろう、ということで二つ返事でやることが決定しました。

ちょうど日本におけるインターネットの商用利用が開示されたばかりで、できた
ばかりのサービスプロバイダー2社(ATTJensさんとIIJさん)に来てもらい、
両者ともにほとんど第1号顧客のような状況で、採用ホームページをスタート
させていただきました。

そもそも自身がPRマネージャーだったため、「日本で最初の人材採用ホーム
ページ」としてニュースリリースを打ち、内容よりもそのニュースバリューで
望むような人材にかなりリーチできた、と記憶しています。

ちょうどインターネットマガジンも創刊されたばかりで、個別取材を受け、創刊
3号に4ページぐらいのカバレージをいただきました。今では考えられない話で
すね。

ここから、私自身の仕事は一気にインターネットに傾いていきました。
30にして「自分の仕事(ポジション)は自分で創る」を実践できたのは本当に
ラッキーでした。

つづきます。

2006年08月22日(火)更新

奇異なキャリア(その2)

私の働いていた外資系のハイテク企業は、いわゆるベンチャーではなく、
戦前より技術革新を積み重ねてきた企業でした。
ですので、いわゆる「大企業病」のような状況に陥らないよう、常に積極
的にビジネスプロセスの改善に取り組んでいました。
80年代には日本を中心にTQC(全社的品質管理)、90年代にはリエン
ジニアリングプログラムを導入しました。

リエンジニアリングは、いわば80年代に米国が指向したスペシャリスト
(専門家)指向のゆりもどしのようなもので、あまりに専門家指向が進み
すぎ業務の横のつながりが薄れ、業務プロセスが非効率になり、開発
時間がかかりすぎ、結果、競争力(特に日本に対し)を失った事への反
省と見ることも出来ます。
80年代、米国に出張すると、向こうのスタッフに自己紹介すると決まって
聞かれることがありました。それは、

「お前のメジャー(専門)はなんだ?」
というものです。
「工業デザインだ」

というと

「OK,俺はメカニカルエンジニアリングだ」

というわけです。

これはどういう意味かというと

「国家らこっちは俺の範疇なので侵食するな」

という事なのです。

その当時から終身雇用ではないわけですから、侵食されると職を失う事
につながるからです。これも横のつながりや業務の協調性を妨げる大き
な原因担っていました。

話を戻すと、そのリエンジニアリングのパイロットプログラムのメンバーに
選ばれたのはとてもラッキーでした。
なぜなら、もともとリエンジニアリング的な仕事のやり方をしていたから
です。
このプログラムでは、実際に1年ぐらいかかっていた開発プロセスを半年
ちょっとでやり終えることが出来、一定以上の成果を出すことが出来まし
た。

しかし、とてもわかりやすい(というかロジカルな、というか割り切った)
会社で、年次売り上げ成長率が5%程度の事業部にリエンジニアリング
を導入して半分強まで生産性を上げられる、という事は、3分の1の人件
費が浮く、ということで、パイロットプログラムの半年後、本格的なリストラ
が始まり、米国では実際に相当数のスタッフが解雇されました。

当時、日本側には6人のデザインスタッフがいたのですが、米国側は、
「お前らは日本の雇用なので直接クビには出来ないが、来年の人件費
予算は4人分しか出せない。あとはお前らで考えろ」と言って来たのです。

当時は日本でもバブルがはじけた最中ですので、いきなりデザイナーとし
て独立する、という事は難しい選択でした。

まあ、仮に独立するにしても「景気が悪いからといって、すべてのデザイン
会社がつぶれているわけではないだろう。こんな世の中だからこそ、儲か
っている会社もあるはずだ。そうであれば、それはどんな会社だろうか?」
と自問自答してみたのです。
そして、活躍しているデザイン会社をいくつか探し、その特徴を探ってみま
した。(私の企業調査の原点はここにあります)

すると、成功している会社は

「デザインがうまいのは当たり前。プラスその会社の強みというものを明確
に持っている」

のでした。

すなわち、
「この業務は女性マーケティングだからこの会社」
だとか、
「このプロダクトは東南アジアで生産するので東南アジアの生産調整に強
い会社」
だとか、
「本社が米国なので英語での直接折衝のできる会社」
といったことです。

では、デザイン(も、そもそもそんなに強くはないのですが)以外に自分に
強みといえるものがあるのか?と自問したとき、まだ自信を持っていえるも
のがなかったのです。

どんなものが強みとして自分に加味できるだろうか?とかんがえたとき、
コーポレートコミュニケーショングループだったのです。

このグループは自分が属していたデザインの上位に位置し、トップは上席
副社長、マネージャークラスはほとんどプロフェッショナルとして職能認知
されており、しかも職能団体も存在していました。

当時働いていた日本の子会社には、コミュニケーションを部門横断的に考
える組織や担当はおらず、チャンスと考えた私は広報部長に直談判して
「来年度の私の人件費を買ってくれないか?」と相談していました。

広報部長としても、あまりに無謀な賭け(私の働きがどのぐらいの貢献に
なるかは未知)をするわけにもいかず、
「まずPRマネージャーとして働き、その上でやるのなら認める」
というオファーをくださいました。

やりたいことがはっきりしていると、どんなに忙しくてもまったく苦にならない
から不思議です。

ここから、わたしのコーポレートコミュニケーションへのチャレンジがスタート
しました。

つづきます。

2006年08月21日(月)更新

奇異なキャリア(その1)

なぜ、今、コーポレートコミュニケーションなのか?

それを探るべく、今回から何回かに分けて、私自身の奇異な出自を
すこし紹介させていただこうと思います。

以前にも何回か書きましたが、私自身は美大のデザイン科を出てい
て、専攻は工業デザインでした。

普通の大学を出た友人が、「就職とは就社であって、実際どんな仕
事をするのかは、入社してみないとわからない」というのとは違い、
入社前から明確に「欧米向けの電卓やパソコンなど電子機器の意
匠設計」をする、というのはわかっていました。

「人生どんぶり勘定で、良いときも悪いときもある」とはよく言ったもの
で、中学・高校時代の抑圧された(おおげさですが)男子校生活と
(多少の)受験勉強の反動か、大学に入ったとたんに相当数のネジ
が飛び、4年間というもの、勉強はさらり、遊びは全力投球の毎日で
した。

そんな自分にオファーを下さったのは、当時自分が聞いたこともない
外資系のハイテク企業。「やったー!ラッキー」と入ってみたものの、
そこで待ち受けていたのはレベルの高い少数精鋭のプロ集団。
当然仕事についていけるはずもなく、気の小さい僕は 1年目で心身
症になりかけました。

本当の意味で仕事を覚えるのに、3~4年は優にかかったと思いま
す。
しかし、それ以上に大変だったのがクリエイティビティ、創造性です。
私自身は絵(表現)が下手だということ以上に、新しい発想を具体化
して提示する、という能力に欠けていました。
これってデザイナーにとっては決定的で、先輩も、この先、こいつを
どう煮たら食えるようになるのか?と業を煮やしていました。

しかし耐えながら周りを見回してみると、デザインの仕事の周りには、
色々な仕事が取り巻いていることがわかってきました。
マーケティングから、メカニカルエンジニア、ソフトウェアエンジニア、
資材調達、品質管理まで。

新しい提示は出来なくても、そのような人たちがいったい何をしていて
何を求めているのか、は、誰よりも良く理解することが出来ました。
同様に彼らのほとんどが「デザインっていったいなんだかわからない」
といっていたのでした。

「じゃあ、他者(他の業務プロセス)理解に長けたデザイナーっていう
存在価値もあるのでは?」と開き直ったとたん、異様にもてるようにな
りました。
両方の言葉がわかる、という事はインタープリーター(翻訳者)のよう
なもので、それぞれの業務が高度化していく中で、そのニーズが高ま
って来たのです。

それから数年、仕事が楽しくてしょうがなくなりました。
北米だろうと東南アジアだろうと、ヨーロッパだろうと、とにかく呼ばれ
ました。私としてはそれぞれのプロの求めるものを咀嚼し、プロジェクト
の中で最適化していくお手伝いをするだけでした。
しかし、いわゆるプロジェクトマネージャーではないのです。

こうやって単なる工業デザイナーが横道にそれていき、89年にはすでに
スクリプトベースですがFTPを使ってCADデータやデザインデータを米国
やヨーロッパとやり取りを始めていたのです。

もちろんこれは僕自身の発案やアイディアではなく、使えない僕をどう
使おうか苦慮した結果、このような道を提示してくれたマネージャー(命
の恩人)の存在があったからです。

つづきます。

2006年08月18日(金)更新

【社長さんの「手みやげ」はなんですか?】

今週は
「社長さんは、いつもどんな「手みやげ」をもってお客様やご親類などへご挨
拶にいかれるのか。とっても興味があります。ぜひぜひブログで綴ってみて
ください。」
というお題をいただきました。
 
私はサラリーマン時代、エシックスとかCSRの厳しい会社に長年勤めてい
ましたので、贈答品授受禁止の習慣がついています。
ですので、独立してからも、接待や贈答のたぐいをほとんど行ってきません
でした。

反面、ときどき会社で贈り物をいただくとドキッとするほどうれしかったりしま
す。
いただいてうれしかったのはここ(ネットで配送可能)です。
http://www.frantz.jp/

「贈り物」にあるりんごのパッケージに入ったものはとっても素敵です。
また、「チョコファクトリー」のところ、メカっぽいものは、男子の琴線をくすぐる
にはぴったりだとおもいます(笑)。

私が送るほうで喜ばれるのはこちらです。
http://www.dune-rarete.com/
「たぐい稀なるパン屋」というなのとおり、一つ一つの種類が際立っています。
「え?手土産にパン?」という方にこそ、試してほしい。
特に女性にはすっごく喜ばれます。
お店も包装もブティックみたいでかっこよい!

あと、お菓子系では最近青山で注目のマカロン。
http://www.pierreherme.co.jp/
こちらも、味覚と視覚、両方を刺激する逸品です。


和菓子ではなんといってもこちらの大福ですね。
http://www.ntv.co.jp/burari/040619/info01.html

お世話になっている講談社さんの目の前にありますが、生菓子ですので買う
タイミングが限定されてしまうのがちょっと難ですが。

なんだか甘いものばかりですね(笑)。
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20141009bnr.jpg

会社概要

1999年2月創業。 ビジネスにおけるインターネット活用経験は日本のインターネットの発展の変遷とほぼ同期しており、豊富な経験を有する。 主宰者は企業広報から自己啓発でWEBマスターになった経験から、今後オンラインを中心とした企業コミュニケーションが重要になるとの思いで独立、創業した。...

詳細へ

個人プロフィール

美術大学デザイン科を卒業後、12年間工業デザイナーを勤める。当時勤めていた外資系メーカーで本社出張を重ねるうち、本社の親組織で行っている「コーポレートコミュニケーション」の役割と重要性に魅了され、セルフリストラして広報部に社内転職。自ら部門を超越した「コーポレートコミュニケーション」を実践する...

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