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2008年03月27日(木)更新

ネットで自分の「孫」に出会う

15年ほど前まで、外資系メーカーで電子機器の工業デザイナーを
やっていた。

主に電卓が中心だったが、自分がデザインした製品は北米、欧州
向けで日本にマーケットがないため、なかなか街中で見かけること
もなかった。

そのザイナーキャリアの最後の頃に会社が力を入れていたのが「教
育用電卓」というもので、特に欧米では数学や化学、物理、さらには
会計などの勉強も「考えること」が中心で実際の計算のプロセスは電
卓を取入れることが一般的になってきたのだ。
(もちろんそれが即、「小学校の9X9の丸暗記」などが意味がない、
ということではないが)

最後に手がけていたのが、高校~大学の学生向けの「TI-80」シリ
ーズで、私が担当したのも初代の「TI-81、82」だった。

ひょんなことで今日、ネットのニュースを見ていたら

”「工学部を選んだことを後悔する理由」トップ5”

という興味深い見出しがあった。

原文は英語でワイヤードのニュースの翻訳転載なのだが、そこに
使われていた電卓が「T-83plus」というもので、自分がデザイン
したシリーズの後継機にあたるものなのだ。

写真のように計算の経過や数式どおりの計算が表示される通称
「マルチライン電卓」を作ったのもTexas Instrumentsが最初だった
のではないかと思う。(私の上司がパテントを持っていました)

自社の製品というのは、そこに会社のデザインポリシーが根付い
ていれば、デザイナーが変わってもその会社のアイデンティティは
損なわれないものなのだと感じた。
写真を一目見て、すぐにそれと気がついた。
逆に言えば、いまだにそれを維持しているのはすばらしいことだ。
まるで街中でふと自分に似ているな、と声をかけてみたら、実際に
自分の孫だった、というような気分だ。

一般的に道具など、自分が慣れ親しんだものに対する愛着は強い
はずだ。
このようなことからもデザインがブランドアイデンティティに強く寄与
する、ということを改めて実感した。

オンラインに(無理やり・笑)話を転ずれば、多くの経営者が自社の
製品やサービスに対する「デザイン」や「ブランド」の価値を認識す
るようになったのに、なぜ企業ウェブサイトをはじめとするコミュニケ
ーションモデルに対しては

「今、企業のホームページの見え方はこういうものが一般的です」

というような制作会社の提案を鵜呑みにして無個性なウェブサイト
を持ち続けるのだろうか?

奇をてらおう、というのではない。
自社がどこに向かおうとしているのか、そのためにどのようなコミュ
ニケーションを行っているのか?
今、企業のウェブサイトはその先頭に立って衆目を集める存在なの
だ。もし、「ユーザーは商品の価格や性能に興味があるのであって、
それ以外の熱弁は冗長だ」という経営者がいるとすれば、そうでな
い、コミュニケーションモデルに対する意識の高い企業のサイトとの
質の乖離はどんどん甚だしくなっていく。

もし今みなさんが企業ウェブサイトの担当者であるならば、数年後
に自社サイトを見返したとき、自身が関わったときと一貫したものを
感じえるかどうか、そう問いながらプランを練ってみたらどうだろうか?
何を大切にすべきかが見えてくるのではないだろうか?

2008年03月24日(月)更新

モノの美しさはどこから来るのか?

ひょんなことで東京で知り合ったJohn Alderman さん。
その頃は別の仕事をしていたのだけれど、
「ちょっとアメリカに戻るんだ」といって別れて2年ほど経ったとき、
「こんど古いコンピューターの写真集を出すんだ」とメールをもらった。
とても興味深い本だ。

そして今回、晴れて日本語版が出版されることになった。

Core Memory ―ヴィンテージコンピュータの美
John Alderman (著), Mark Richards (写真), 鴨澤 眞夫 (翻訳)

チョイスやその解説に独自の視点が光る。
加えて写真がすばらしい。イメージは、その写真を撮影した写真家
のMark Richards さんのサイトで一部を見ることができる。
http://www.corememoryproject.com/main.php

mark

コンピューターの出現と進化は、ほぼ私自身の生まれ育ちとシンク
ロしている。
小学生の頃、横浜駅前のビルの一階で大きなパンチングカードの
じゃばらを吐き出すマシンや、オープンリールのテープが不規則に
「シュッシュッ」と回るのを不思議そうに眺めていたものだ。
就職した1983年当時は、まだ日本語ワープロ(初代キャノワード)
は机にCRTモニターが埋め込まれているタイプのものだった。
(たしか250万円ぐらいだったか)

パソコンはなく、ネットワーク端末は英語のみのグリーンモニターで、
電気のついていない週末に休日出勤すると妖しい緑色の点滅が
ここそこで瞬いていて不思議にハイテクな雰囲気が漂っていた。

「形態は機能に従う(Form follows function)」とはフランク・ロイド・
ライトのお師匠さんの一人でもあり、シカゴ派の代表的な建築家の
ルイス・ヘンリー・サリヴァン(Louis Henry (Henri) Sullivan氏の有
名なことばとして20世紀の近代デザインの基本となった。

上記のような時代感や思い入れもあるのだが、この本を見ていると
それ以上の芸術性すら感じる。まるで現代彫刻を見ているかのよう
な気持ちにさえなってくるのだ。

クルマでも電子機器でも、1980年代ぐらいまでのものづくりには
まだ作業そのものの非効率さが情報技術によって解決されていな
かったから考える時間が潤沢にあったような気がする。

「なんとなく安っぽい」

「なんとなく飽きる」

「なんとなく2年で買い換える」

最近の「モノ」に感じるそんな気分を払拭すべく、デザイナーやクリ
エイティブディレクター諸氏にはソフトウェアやITツールで問題を解
決する以前に考えなければならない事にもっともっと気づき、それ
に時間をかけて欲しい。
この本にはそんなヒントが詰まっている。

そしてまた私も、20年前に買ったQuadra700をまだ捨てられずに
いる。この6面抜きの直方体の箱には、何かがあるのだ。

2008年03月17日(月)更新

「カラーユニバーサルデザインセミナー」

数年前から「ユニバーサルデザイン」というキーワードが着目されて
来ている。日本でも「ユニバーサルデザイン研究機構」をはじめ「ユ
ニバーサルデザイン・コンソーシアム」
「ユニバーサルデザインフォ
ーラム」
など、いくつかの団体が活発な活動をしている。

加えて、色彩の活用の面から多様性に対応していこう、という動き
「カラーユニバーサルデザイン機構」だ。
これは主に「色盲・色弱」、「色覚異常」と呼ばれている人への配慮
を考慮する活動だ。
日本では男性の20 人に1人、女性の500人に1人、日本全体で300
万人以上、また世界では2億人を超える人数で、血液型がAB型の男
性の比率に匹敵するという。
有名人ではゴッホやターナーも色弱であったらしい。

ポイントはこれらの人々を「異常」として切り捨てるのではなく、「多くの
人と違う色覚を持った人」という捉え方をして、「では、様々な色覚を持
った人にも不都合なく活用できる色使いとはどういうものか、を考える」
のが「カラーユニバーサルデザイン機構」の活動だ。

実はサラリーマン時代から20年の付き合いになる京都が本社の大平
印刷
という会社がある。
そもそもは宝酒造の子会社でお酒のパッケージやラベルの印刷を手が
けていたが、ウェブへの取り組みも最初期からやっている先見性の高い
印刷会社だ。
環境配慮の点でも再生紙だけでなく、非木材紙やソイインクなども扱っ
ていた。

今回、東京営業所の重鎮である齋藤さん(20年のおつきあい!)のお
声がけで表題の「カラーユニバーサルデザインセミナー」に参加してきた
のだ。

セミナーは「カラーユニバーサルデザイン機構(CUD)」の設立メンバー
で、自らも色弱でありながら1級カラーコーディネータの資格を持つ伊賀
公一さんと大平印刷の樋野さんのプレゼンテーションで、伊賀さんは、
色覚の多様性とどのような差異があるのかを詳しく丁寧に説明してくだ
さり、樋野さんは印刷やカラー表現に携わる立場からどのような対応が
できるのかを紹介してくれた。

いわゆる一般的な営業セミナーではなく、世の中の現状と、わたしたちに
できることを紹介してもらえ、とても意義の高いセミナーだった。

戻って「カラーユニバーサルデザイン機構」のサイトを見てみたら、理事
長はかつて私が工業デザイナーの頃にお世話になっていた日本工業
デザイナー協会でお付き合いのあった武者廣平さんであった。
なんと世の中の狭いこと。

具体的には色弱の方はどのように見えているのかをシミュレートできる
ソフトウェア(プラグイン)や模擬フィルターメガネなどがあり、参加してい
るグラフィックデザイン関係の会社や印刷関連の会社でもすでに活用し
ているところが多いのにも驚いた。
また自らも複写機やプリンターを販売しているリコーさんなどは、CUDの
認可を得て自社の印刷物(CSR報告書など)をユニバーサルデザイン化
している、という事例の紹介もいただいた。

今後もこのような活動の認知が進むことを願うとともに、印刷やウェブを
通して表現に関わるものとして啓蒙に少しでも寄与できればと思った。

2008年03月13日(木)更新

危機管理広報セミナー

今日は宣伝会議さん主催の「危機管理広報セミナー」だった。

午前中はハーバーコミュニケーションズの五十嵐さんによる危機対
応の基礎の話。非常に具体的なプロセスのお話が聞けた。
午後の前半が私の担当でオンラインにおける危機対応の事例の話。
そして最後が危機管理コンサルタントの田中さんと不二家の広報室
長だった小林さんの対談。まさに本日の目玉だった。

このような多面的で包括的な危機管理広報のセミナーは意外にも
初めてかもしれない。かなり広い会場だったが、私の座る席すら余裕
のない状況だった。

また、内容的にも危機の当事者であった企業のご担当者が直接話を
するというのはとても画期的なことなのだ。
PRIR編集長の田上さんもおっしゃっていたのだが、通常、このような
機会で「ぜひ事例としてお話していただきたい」といっても、ほとんどの
企業のご担当者の方はお断りされることが多いのだ。

以前も別のPR会社主催の勉強会で同様の企画があり、そのPR会
社の社長自ら数十社の企業の広報部長に声をかけたがひとりも賛同
を得られず、結局大学の先生2名にご登壇いただいたぐらいだ。それ
では参加者の溜飲を下げるにはいたらない。

内容の公表は差し控えるが、今日の不二家の方は時系列に沿って
非常に丁寧にお話してくださった。それだけでも臨場感があり、メデ
ィアで見聞きした背景にどんな現場があったのかが良くわかった。
110名を越える参加者の数からも注目度が推し量られるが、やはり
勇気を持ってご登壇いただいた不二家の小林さんに感謝したい。

多くの企業広報の方は孤独で、とくに危機管理に関してはなかなか
生の事例を聞く機会は少なく、手探りで対応している場合が多い。

私自身も、先進的でユニークな広報事例をいつも探しているが、一昨
年には米国のコンファレンスに参加しに行ったぐらいだ。そこでは
「広報」、「宣伝」、「マーケティング」、「ジャーナリズム」など、いわゆる
企業コミュニケーションに関わるプロフェッショナルが、企業側とメディア
側、合計8種類の立場で集まり、ブログや新しいネットツールの活用、
あるいはそのリスクやメリットについてオープンに意見交換をしていた
のだが、参加表明をしたときに米国の主催者に「勉強に行く」と言った
ら「とんでもない!この会はみんなで経験をシェアするための機会だ
からあなたは日本での知見や経験を伝えに来るのよ」と諭されたくら
いだ。

日本でもこのような機会が少しずつ増えてきたとはいえ、参加する
みなさんのメンタリティはそのときの私と同様、まだまだ「勉強させて
もらう」というものではないだろうか?

きっとPRIRでも宣伝会議さんのセミナーでも、同様の事例はこれ
からも渇望されていると思われる。ぜひ積極的に声をかけていただ
き、次回の盛会につなげてもらえれば、と思う。

もし本日参加されていた方でこのブログに目を通される方がいらっし
ゃれば主催者や講師の方に積極的にフィードバックコメントを投げて
欲しい。感じたことや経験談、質問など。それをまたみんなで共有
することが皆さんそれぞれの会社、ひいては日本の広報全体の
底上げにつながるのだと思う。

2008年03月12日(水)更新

渋谷陽一氏にみるインタビュワーの本懐

「ロッキンオン」という、70年代から続く音楽雑誌がある。
最近はあまり買わなくなったが、編集長(現社長)の渋谷陽一氏の
レッドツェッペリンへの傾倒はすざましい。
大好きなアーティストだからといっておもねることなく、ギタリストの
ジミーペイジ氏への以前のインタビューでは、アーティスト自身が一
番良くわかっている過去の失態についてまで芸能リポーターのよう
にしつこく聞き、本人に嫌われていた(笑)。
しかしそういうしつこさも、アーティストの本質に迫りたいという自分
自身の強い思いがあればこそ、なのであろう。

今回、プロモーション来日したジミーペイジ氏から当初「またおまえ
か」と嫌われつつも、結果的にかなり饒舌に語らせ、他誌とは違う
切り口で内容の濃いインタビューを成功させたのはさすがだ。
rockinon
「リハーサルはプラント抜きの3人でほとんどこなしていた」
「プラント以外の3人は最後までかなり気合が入っていた」
「なぜホワイトストライプスを気に入っているのか」
などなど、他誌にはないユニークな内容で、読み応えがあった。

インタビューはどちらかが受け手でどちらかが投げ手、のままでは
通り一遍のもの以上にはならない。インタビューを通して、お互いが
何を得るのか、というビジョンの共有(もしくは有無)が重要で、今
回の渋谷氏のインタビューは、それがジミーペイジ氏に伝わった
成果と見ることができる。

これを私たち企業側でコミュニケーションに関わる立場から見た時、

「リリースを出す」
「メディアの目に留めてもらう」
「取材してもらう」
「記事として取り上げてもらう」
「カバレージの量で効果測定する」

というように一方的な都合でしか捉えていなかった、ということはな
かっただろうか?
「私たちはおまえらの広報代理人ではない」という記者の声を聞いた
こともある。また、最近多いネット上のリリース配信サービスも、それ
だけに頼ると、効果は一時的なものにしかならない。

やはりコミュニケーションとは関係性の構築であり、一方的、一時的
なプロセスだけでは成り立たないものなのだ。

記事を読んだ私が新たなCDを買えるのも(買えないのも)、家内との
関係性の構築の所作によるのだ。
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