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2008年05月30日(金)更新

企業コミュニケーションにおける写真の重要性

今までもブログで何回かこのテーマに触れてきたのだが、セミナーで紹介
するたびに後日「雨宮さんの紹介してくれたような視点でやってみた」と
いう報告をいただくようになって来た。
とてもうれしいことだ。

例えば石川県の医療法人社団、芳珠(ほうじゅ)記念病院
今年の全面リニューアルで「顔の見える」病院ウェブサイトとなり、患者
さんの安心感も増したと伺っている。
また、私のような元デザイナーには印刷用のカラーガイドでなじみの深い
DIC(旧社名:大日本インキ化学工業株式会社)さんから、創業100周
年を記念して写真集『Color and Comfort by Chemistry』を刊行した、と
聞き早速入手した。

photobook

これはDICさんがさまざまな産業分野で活躍する様子や研究開発の風景
や社員の姿などをグローバル規模で紹介しているもので、その写真の質が
とても高く、企業のビジュアルコミュニケーションを考える際、すごく参
考になる一冊だ。

オールカラー260ページの大作で、日本国内発送限定で先着100名限定とい
う条件が付いているが、なんと無料で譲っていただけるということだ。

企業広報でビジュアルの質の向上に興味のある方は入手して見てみる価値
は高い。ぜひ申し込んでみて欲しい。
http://www.dic.co.jp/present/photo_collection.html

以下、参照記事
ビジュアルコミュニケーションの重要性

企業コミュニケーションにおけるビジュアルの重要性

2008年05月29日(木)更新

日本経営協会セミナー:大阪

一昨日の午後より大阪に移動し、昨日は朝から終日でセミナーを行ってきた。
今回は初めてのお付き合いとなる日本経営協会さんの主催の「インターネ
ット広報実践講座」セミナー。以下の項目につきそれぞれ1時間半程度、
4回に分けてお話をさしあげた。

1.ネットによって変わる企業広報(1:45)
2.ネット時代のメディアリレーションと危機対応(1:15)
3.社内広報とネットツールの活用(1:15)
4.企業広報によるウェブサイトマネジメント(1:20)
この「オンライン広報専科」ネタは、元はといえば共同PRで実施してい
たレジメが元になっており、当初2時間X10回というものだった。
それが、やはり毎週金曜日の夜を2ヶ月半とられるのはキツい(わたしも
キツい)ということで、2日間連続で2時間X6コマに変更になり、ここ
数年ある程度圧縮した内容に落ち着いていた。
今回はさらにそれを1日バージョンに再圧縮したので、ぎりぎりまでレジ
メを絞るのに苦慮していた。できるだけ沢山の事例をお見せしたいとは思
うのだが、あまり詰め込みすぎても咀嚼する時間がなくなり却って理解の
妨げになりかねない。

今回は20数名の参加者の方に集まっていただいた。通常PR関連のセミ
ナーといっても、企業広報系の担当者よりもマーケティングコミュニケー
ション系の方が多い場合がほとんどなのだが、今回の参加者の方は、ほと
んどが企業広報あるいは総務系の方で、とても熱心で多くの質問をいただ
けたのもありがたかった。

また、いつも思うのだが、たいがい一人か二人、睨むように熱い視線を
送ってくる方がいる(男性)。気にしいの私は不満があるのかとひやひ
やしているのだが、名刺交換すると破顔で「いやあ、まさに悩んでいる
ツボにヒットするお話でとても勉強になりました」とおっしゃる。
どっと緊張感が解けた。
まだまだ聞いていただく方にリラックスしていただく努力が足りないの
かとも思うが、話芸だけで食べているわけではないのでその道の遠さに
気が遠くなる思いだ。

rokko

写真は前日の夕方にホテルにチェックインしたときに見た六甲に沈む
夕日。

botejyu
そしてその残像が目に焼きついてとった食事は、、、
「ぼてじゅうのネギ焼き」

2008年05月25日(日)更新

「デザイナー誕生:1950年代日本のグラフィック」

今日は文京区小石川、飯田橋と江戸川橋の中程にある凸版印刷の印刷博物館
行ってきた。
50sgraphics

「もはや戦後ではない」といわれた1950年代、日本のグラフィックデザイ
ンの世界がいちばん活気づいていた時代のポスター、パッケージ、書籍、雑誌
などのグラフィックを500点も集めた展覧会だ。

亀倉雄策、山名文夫、河野鷹思などの大御所の有名な作品はもちろんだが、
数多くの名もないデザイナーの作品の中にも、光るものが多い。特にデパ
ートや商店の包装紙のデザインは箱を包装した立体の状態で展示する事で
そのデザインが「存在していた」状態を再現している。

単にこれらのデザインが今でも古くなく、新鮮に感じるだけでなく、力に
あふれている理由は明白だ。
デザインを起こす行程の全てが手仕事で今の何倍もの時間をかけていたか
ら、デザイナーは一つ一つの色や配置を試行錯誤をして自分の手に、頭に
その感覚をたたきこんでいったのだろう。
ネットもフォトショップもイラストレーターもない時代だから、人やツール
に頼る事なく自らの勇気を試す機会にあふれていたともいえる。
若いデザイナーがみれば、アナーキーなアイディアの巣窟と映るかもしれない。

常設展示以外にも、中国政府と共同で制作した「紫禁城」のバーチャルシアター
があり、視野角120°のワイドスクリーンで、まるで浮遊するように紫禁城を
訪れる事ができた。10分ちょっとの映像だが、なかなかの感動ものだ。

東京にはすばらしい企業の私設博物館が多いがそのなかでもこの印刷博物館は
内容、建物、ショップ、どれをとってもピカイチだ。
もちろん図録も良くできていた。

toppanmuseum

また併設されているコンサートホールはクラシック中心のアコースティック専
門ホールだ。以前中央アジアのアルタイ共和国の歌手、ボロット・バイルシェフ
のコンサートを見に行き、幾重のも倍音を発する喉と2弦しかないとは思えない
楽器による「一人オーケストラ」に驚いた。
壁、床、ステージも木で組まれており、会場自体が一つの楽器、という造りに
なっている。

2008年05月17日(土)更新

これからの広報:新しいチャレンジを、確実に世に問う方策

今週実施した宣伝会議の広報の学校のように、シリーズで数回に分け
てオンラインコミュニケーション(インターネット広報)の話をさせていただ
くときに、必ず話すエピソードがある。

それはデザインの評価の定量化(良し悪しをどう客観評価するか)につ
いて語られているレイモンド・ローウィ(第2次大戦をはさんで活躍した
インダストリアルデザイナー)の考え方と、米国のコメディアン、ビル・コ
スビーの考え方だ。
ローウィは、「人の好みにはばらつきがあるが、嫌う場合の傾向値にば
らつきが少ない」と考え、マイナスの要素を注意深く取り払ってデザイン
したので結果的に「売れる」デザインを作ることができた、というものだ。

http://crossmedia.keikai.topblog.jp/blog/114/10000544.html

http://crossmedia.keikai.topblog.jp/blog/115/10000546.html

対してビルコスビーの考え方は、以下のような名言として伝えられてい
る。

「成功への鍵が何かは知らないが、
失敗への鍵は全員を喜ばせようとすることである。」

本来、矛盾するようなこの2つの考え方だが、実はそうではない。
言ってみれば双方とも「無謀と勇気の違い」を理解してのことなのだ。

ローウィも一見、この言葉だけでは極めて保守的でチャレンジャブルで
はないように受け止められがちだが、実際のデザインは時代を超え、半
世紀後の今でも十分新鮮に感じられる提案をしてきているのだ。

実は当時からローウィーを真似るデザイナーは少なくなかった。それはい
つの時代の花形デザイナーにもフォロワーが常に現れるのと同じ(流行・
ファッションだ。
しかし、ローウィはその裏に人々の嫌う要素を周到に取り除く計算をする
ことで、表向きのデザインの好みしかわからない企業経営者にとっても
安心してそのデザインを採用できる裏づけを提示していたということもで
きる。その差は、顕在化しにくいが、大きい。

コスビーの考え方は、受け取り方によっては、より今日のマーケティング
的とも言える。
すなわち、「市場は流動的で速く、以前のようなマスは存在しない。マジ
ョリティを狙ってそのとおりに売れるかというとそうでもない」というものだ。

しかし彼のメッセージの根本は、最初からすべての人に迎合するような
アプローチでは人種を超えた人気を得るという成功はなかったのではな
いかという実感に基づいたものなのであろう。
自分の芸にしっかり根ざしていれば、必要以上に周りを気にすることは
ないし、そのほうが結果的に受け入れててもらいやすく、自分も流され
ずに長く続けられる(た)と言いたかったのだろう。

ローウィもコスビーも、自身の持っている個性や技術、環境を考えた上で
さらに冷静に、それを確実に世に問う術を見につけていった、ということ
なのであろう。

新しいことにチャレンジをするためには多くの障壁が立ちはだかる。
しかしそれを打破するためにはきわめて周到でプロセスオリエンテッド
なアプローチが必要なのだ。

オンラインコミュニケーションというと、どうしてもマーケティング手法や
新しいツール、その表現にばかり目が行きがちになるが故、このような
エピソードをお伝えしたかったのだ。

2008年05月16日(金)更新

グッバイ・イエロー・ブリック・ロード

今週火、水曜日と2日間の集中セミナーを終え、やはり多少なりとも
疲れがたまっていたようだ。
翌日の木曜日(昨日)も朝からミーティングが続いていたこともあり、
午後は早引きしてジムに行き、少しリフレッシュしようかとさえ思っ
ていた。

昨日は、元々は夜に「料理王国」という雑誌を出している出版社の美
人広報部長の企画した異業種交流パーティーに誘われていたのだけ
ど、疲れていたことと、その種の集まりの雰囲気が苦手で当日まで
返事を逡巡していたのだ。
しかし同時に別の美人(過日初めてのお子さんを出産し、産院から退
院する前に仕事を再開、さらに一週間後に出張するという、スーパー
レディの友人)からも「パーティー行かないの?」とメールが入る。

女性の誘いに弱いのはさておき(ここは笑うところ)、なぜ彼女は僕が
件の広報部長に誘われているのを知っているのか?
考えてみると僕らを引き合わせてくれたのは、同じ中小企業基盤整備
機構の方なのだが、それまで個別にしかお会いしていなかったので彼
女たちが知り合いという事も知らなかった。

果たして参加者五十名ほどのそのパーティーは、広報部長の交友の
広さを思い知らされるほど、多種多様な人たちの集まりだった。
「とにかく呼ばれてきたけど、今日の趣旨は何?」という人も、私を含め
少なくなかったのではないだろうか。

まあ「異業種交流会」の王道を行く積極的なプレゼンターも散見したが
私の前に現れた人はことごとくユニークな人たちだった。

その人たちとの会話の断片はこんなものだった。

「あなたのコンプレックスなど、保険の適用範囲内で解決できる些細
なものだ」

「生命の根源は音である」

「多くの企業ロゴが人の視点で表されているので、私は自分の会社の
ロゴを天からの視点で作ってみた」

などなど。

書ききれないが私にとって興味深い話ばかりだった。
しかし何故初対面で彼・彼女たちはそんな話をしてくれたのだろう?

そうか、きっと彼・彼女らはメッセンジャーだったのだ。

「枝分かれする黄色い道。どちらを選んでも結局あなたはあなたの行
くべき所に到達する」

その言葉を聞いて一足先に喧騒を後にした。

誕生日の前の夜の事だった。
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