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2010年03月02日(火)更新

おくやみ 皆川正(まさ)先生

日本の工業デザイン創成期の重鎮の一人で、約30年前、東京造形大学で
おせわになった当時主任教授であられた皆川正先生が2月20日にお亡くな
りになりました。

わたし自身は当時ロクに勉強もせず、先生にお世話になったなどと、えらそう
に言える身分ではありません。

正直、卒業後にまともに仕事が出来るようになるのに時間が掛かりましたし、
その頃は「もう少しまじめに勉強しておけばよかった」と後悔したものです。

ただ、勉強せずとも先生の思い出というのは印象深く心に残っています。
先生にお返しできるものはありませんが私なりに3つのエピソードをご紹介
します。
当時の東京造形大学の工業デザイン科の2次(実技)入学試験は、

「魚をモチーフに平面構成を作れ」

というものでした。

美大の入試というのはデッサンもそうですが、周りを見渡すことが出来るので
他人がどのようなことをやっているか、多少見えるのが面白いのです。
平面構成ですからグラフィック模様のように魚を並べる人もいれば、なにか
観念的に魚の動きを表現している人もいました。(なぜか覚えています)

僕自身は狭い生け簀の中を縦横に泳ぎまわっているような構図で描きました。

なぜこんな出題をするのだろう?という疑問は大学に入って解明しました。

実は皆川先生は、工房で出る木っ端(生徒が実習で制作する課題に使った
木材材料の端材)を削り、魚の造形物をよく作られていたのです。

それらはホンモノそっくり、というよりは魚の動きを形にしたオブジェという
もので、僕たちも授業でまねて作らされたこともありました。

これは基礎造形を生み出す創造性を鍛えるにはとてもよいトレーニングだ
ったと(サボっていた人間がいえる筋合いではありませんが)思います。

粘土でも良いのですが、木を削る造形は木目も相まってとても面白い表現
が可能になります。
新しい形を生み出す仕事をしている方にとってはこのような趣味(トレーニン
グ)は自分のアイディアの引き出しを作る良い機会となるでしょう。

もうひとつの先生の思い出は就職のときにいただいた温情です。
つまらない自分の落ち度である自動車会社の入社試験に失敗したわたしは、
研究室にいる先生の元に報告に行くとこっぴどく怒られました。
本来であれば「もう知らん」といわれて終わるところでしたが、
「私が紹介できる会社はもうないけれど、そこに来ている求人の封筒のなか
で受けられるところがあれば武士の情けでもう一度だけ推薦状は書いてやる。
しかしもう一度だけだ」
とおっしゃっていただけたのです。

まじめな学生ではありませんでしたが、今に至るきっかけを作ってくださった
のはまちがいなく先生でした。

3番目は、卒業謝恩会で先生がおっしゃった言葉が忘れられません。
それは
「まだまだ世の中にデザインの価値は十分に理解されているとはいい難い。
だから諸君はずっと工業デザイナーを辞めないで一生の仕事として続けて
それを世に問うて欲しい」
というものでした。
正直、自分がデザイナーからコミュニケーションの仕事に移ろうと考えたときは
この言葉が脳裏をよぎり、かなり逡巡したものです。

もちろん後悔はしていませんが、仕事の中にデザインマインドやクリエイティビ
ティ、その価値を訴えられるように心がけています。

ご挨拶もできないまま30年近くがすぎ、このようなお知らせを聴くことになる
のは残念なことでした。

最後に、ほとんどの授業は上の空でしたが、ひとつだけ印象に残っているのは
扇風機のデザインをされたお話でした。
日本の扇風機が今のように3枚羽根になった最初のデザインをされたのが皆川
先生で、それ以前はすべて4枚羽根だったそうです。

2009年02月14日(土)更新

晴天の友となるなかれ、雨天の友となれ

仕事とは、つくづく「人の縁」と思う。

ネットベンチャー華やかな頃、起業家として立ち上がった中の一人に
佐々木かをりさんがいる。

佐々木さんとは元々、私がインテルに在籍していたときに「女性向け
のパソコンマーケティングやウェブの活用」をテーマに外部コンサルタ
ントとしてお話を伺ったのがもともとのご縁だ。

後年、私が独立し、佐々木さんがネットベンチャーを立ち上げたとき、
そのコンテンツ企画で逆にお声掛けをいただいた。
あれから何年たっただろう。

実は今関わっているご縁の会社に、佐々木さんのもうひとつの会社
がフィットするのではないか、と前日勝手にご紹介さしあげていた
のだ。

するとそのご担当の方から、
「私の名前を出してくれたのは雨宮さんですね。どうもありがとう。
実は今日、会社のセミナーフロアの改装パーティーがあるのでぜひ
参加してください」
とお誘いを受けた。

そこには、さすが佐々木さん、とうならせるだけのゲストがいらっしゃっ
ていた。
ご縁の元となったインテルの西岡さん、元MS会長の古川さん、日産
の林文子さん、マクドナルドの原田さん、女優の石井苗子さん、ジャー
ナリストの池上彰さん、リヴァンプの玉塚元一さんなどなど。

西岡さん以外は面識があるわけではないが、他にも面識のある方が
いらっしゃった。

元ゲラン社長の秋元さん。
秋元さんには私の元上司のご縁で紹介され、最初のゲランの日本語版
ウェブサイトの立ち上げをお手伝いさせていただいた。

もうひとり。生島ヒロシさん。
生島さんとは別のある財団法人のネット活動の表彰審査をご一緒させ
ていただいたご縁がある。毎日何十人もの方とお会いしている生島さ
んなので、もちろんご記憶にはなかったようだが、その生島さんが、
帰り際に短いスピーチをくださった。
それが

「晴天の友となるなかれ、雨天の友となれ」

というものだ。

「未曾有の不況といわれる今日。皆さん一人一人は(表面では笑顔を
取り繕っても)自分の事に精一杯で、大変苦しい思いで頑張っている
最中であることでしょう、しかしこんな時だからこそ、友に思いを馳せ、
手を差し伸べられる人となろうじゃありませんか」

ふっと背中から絡まった針金が一本抜けた思いがした。

生島さんは決して華々しいキャリアを積んできたかたではなく、大学を
中退し、単身アメリカに渡って、空手で生活費を稼ぎながら学究生活を
送られた過去をお持ちなのです。

また、義母さまの介護体験から福祉の専門家となりヘルスケアを追究、
もう一つ、お金も大事だからファイナンスプランナーの資格も取得されて
いる。昨今多方面で活躍されているのもこのような背景があるからだ。

「自分自身のキャリアに分散投資して間口を広げておくこと。すると50代
になっても不安がありません」とおっしゃっているようだ。

「複合キャリア」は変化スピードの速い現在においてはネットワークの柔
軟性を持つことができ、他者理解力も高めることができる。
そしてそのミックスそのものがそのひとの「個性」や「独自性」となるのだ。

ご縁が紡いだくれた貴重な時間を持つことができた。

2008年10月28日(火)更新

けんかしないでください

週末は幼稚園の記念祭でずっと子供の世話をしながら幼稚園界隈
をぶらついていた。

記念祭とは文化祭のようなものだが、そうは言っても幼稚園のこと、
父兄のバザーや子供が楽しめるゲームが中心だ。

午前中に合奏会を見て、午後は子供の絵画や工作などの作品展を
みていた。そこで発見したのは特別養護老人ホームに訪問したとき
に息子が描いた絵だった。
他の子供たちはお決まりのように「お元気で」とか「いつまでも長生き」
とか書いているのだけれど、一人だけ

「けんかしないでください」

と描いていた。

hiroki

老人になればすべての人が達観している、というわけでもなく、そこでも
当然人間らしい感情の発露としての諍いや思いの違いは発生している
ようだ。不機嫌な人や笑わない人もいたそうで、お年寄もどちらかという
と子供に還るに近い状況なのだ。息子は同じ目線でそれを機敏に感じ
そのまま感じたことを描いたのだと言う。

まあ、毎日姉ちゃんにやられているからいつも言いたいことの筆頭だった
というのもあるのだろうが、子供の素直で率直な視点にはいつもはっと
させられることが多い。

つい視野狭窄でつまらない諍いをしてしまう自分に冷や水を浴びせられ
たような気持ちがした。
ありがとうの替わりにドーナツでも買って帰ろうか。

2008年05月16日(金)更新

グッバイ・イエロー・ブリック・ロード

今週火、水曜日と2日間の集中セミナーを終え、やはり多少なりとも
疲れがたまっていたようだ。
翌日の木曜日(昨日)も朝からミーティングが続いていたこともあり、
午後は早引きしてジムに行き、少しリフレッシュしようかとさえ思っ
ていた。

昨日は、元々は夜に「料理王国」という雑誌を出している出版社の美
人広報部長の企画した異業種交流パーティーに誘われていたのだけ
ど、疲れていたことと、その種の集まりの雰囲気が苦手で当日まで
返事を逡巡していたのだ。
しかし同時に別の美人(過日初めてのお子さんを出産し、産院から退
院する前に仕事を再開、さらに一週間後に出張するという、スーパー
レディの友人)からも「パーティー行かないの?」とメールが入る。

女性の誘いに弱いのはさておき(ここは笑うところ)、なぜ彼女は僕が
件の広報部長に誘われているのを知っているのか?
考えてみると僕らを引き合わせてくれたのは、同じ中小企業基盤整備
機構の方なのだが、それまで個別にしかお会いしていなかったので彼
女たちが知り合いという事も知らなかった。

果たして参加者五十名ほどのそのパーティーは、広報部長の交友の
広さを思い知らされるほど、多種多様な人たちの集まりだった。
「とにかく呼ばれてきたけど、今日の趣旨は何?」という人も、私を含め
少なくなかったのではないだろうか。

まあ「異業種交流会」の王道を行く積極的なプレゼンターも散見したが
私の前に現れた人はことごとくユニークな人たちだった。

その人たちとの会話の断片はこんなものだった。

「あなたのコンプレックスなど、保険の適用範囲内で解決できる些細
なものだ」

「生命の根源は音である」

「多くの企業ロゴが人の視点で表されているので、私は自分の会社の
ロゴを天からの視点で作ってみた」

などなど。

書ききれないが私にとって興味深い話ばかりだった。
しかし何故初対面で彼・彼女たちはそんな話をしてくれたのだろう?

そうか、きっと彼・彼女らはメッセンジャーだったのだ。

「枝分かれする黄色い道。どちらを選んでも結局あなたはあなたの行
くべき所に到達する」

その言葉を聞いて一足先に喧騒を後にした。

誕生日の前の夜の事だった。

2007年07月30日(月)更新

ホームパーティーの天才

結婚前の話なのでかれこれ20年前のことだけど、その当時、
建築家やスタイリスト、デザイナーなどの友人が多くて、よく
遊んでいた。

しかしまだ20代の僕らはそんなにお金があるわけでもなく、
しょっちゅうクラブにいくようなわけでもなかった。

そこで、週末に掛けてオールナイトで友人宅でホームパーティ
を持ち回りで開催していたのだけど、そのなかのひとり、友人
のガールフレンドだったスタイリストの真由美ちゃんという人が
ホームパーティーの(特に料理のアレンジの)天才だった。

いつもお金をかけず、バラエティに富んだ料理を短時間でいっ
ぱい準備する。

一番感動したのが「カレーパーティー」だった。
普通、カレーパーティーだと「前の晩から仕込んだの」とかいっ
て家に入るといい匂いが漂いそうなものだが、僕たち友人8人
ぐらいが彼女の家に集まったときは、全くにおいも何もなく、
野菜やシーフード、肉類が買ってあるだけだった。

しかしちょっとビデオなどを見ているうちに、30分程度で、なな、
ナント、5~6種類のカレーを出してきた。

そのからくりとは、、

複数のフライパンで、シーフード、肉、野菜などを豪快にいためる。
(ハナマサで激安仕入れ)
それらを取りおき、今度は丸正でまとめ買いしてきたレトルトカレ
ーを鍋に入れ、安い大量のワインでのばし、にんにくとスパイス
を数種類入れる。(インスタントくささは全く残っていない!)
最後にフランべした材料をいれてひと煮立ち。

これで、

牛タンカレー
キーマ(グリンピースとひき肉)カレー
なすと夏野菜カレー
シーフードカレー
チキンカレー

などがあっという間にできあがり。

フランスパンでカナッペ、ワイン(安いもの)でも、かなり豪華で
幸せな時間が過ごせた。

きちんと作ったほうが安いよ、というかもしれないが、なにせみ
んな仕事も忙しかったので、本当にすばらしいアイディアだった。
レトルトなんて、とおもうけど、短時間で成果を出す真由美ちゃん
にみんなは脱帽だった。

最近、自社の会議室でも時々小さなパーティーを開くのだが、こ
の時の経験が役に立っている。
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