クロスメディア・コミュニケーションズ株式会社 代表取締役 雨宮 和弘 の日記 | 経営者会報 (社長ブログ)
来るべき「コミュニケーション・プロフェッショナルの時代」を担う「企業コミュニケーター」養成ブログ
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2011年01月17日(月)更新
私が見た阪神淡路大震災
16年前の今日。
サラリーマンで広報部にいながらメディアリレーションとコーポレートコミュニケーション、加えてウェブサイトの運営をこそこそ始めていた頃でした。
家を出る前に見た朝のニュースではまだ詳しい様子はわからず、大きめな地震程度の認識でいましたが、会社に着き、カフェテリアのテレビに映った火の海をみて、体が凍りつきました。
本当にありえない、そんな光景でした。
当時勤めていた会社は外資系でしたが、大手の日本企業と一緒にジョイントベンチャーを始めたばかりで、兵庫県に大きな半導体工場を稼動させていました。
社名にも「神戸」がついていた会社ですから、米国本社でも「同じ地名でこれだけの大惨事になっていれば工場は壊滅的であろう」と思うのも当然でした。
実際には工場は明石の北40キロの西脇市にあり、操業こそ停止しましたが人命に関わるような大きな事故にもならなかったのは奇跡的でした。しかし中心地で5000人以上もの方が亡くなっていることを思うとその現状は想像の域を越していました。
広報としての最初の仕事は、北米をはじめとする海外の投資家や経営者などに状況を正しく伝えることでした。今のように個人が動画を撮って即Webにアップ、という時代ではなかったので、1週間後に本国のメディアリレーションマネージャーとアメリカの新聞記者が取材に来るということになり、アテンドで一緒に神戸に入りました。
飛行機が旋回したとき見えた地上は、焼けて真っ黒の地域とそれ以外はブルーシートで覆われて青く染まっていたのが印象的でした。
かろうじて新神戸のそばのホテルに泊まることが出来ましたが、隣の異人館も、目の前の商店街もぼろぼろでした。私自身は取材の同行なので現地の手伝いなどは一切出来ませんでしたが、全ての人が「生きている人はとにかく復旧作業にたずさわっている」ようにうつりましたが朝からあわてず、粛々とやっている人々の姿を見て、海外の新聞記者はとても驚いていました。
なにせ街中を抜ける時にタクシーから見た景色は、本当に海外の戦場のようだったのです。しかしテレビでみたニュース映像と現場を生で見ることの一番の違いは「臭い」だと思います。場所によっては被害が見えないようなところも有ったのですが、あの異様な臭いだけは、当時街全部を覆っていたのではないかと思います。
記者と本社のマネージャーは「オー」か「アー」しか言葉が出ませんでした。
半日以上、食べ物が喉を通らなかった記憶があります。
向かった工場は西脇ですから被災地とは反対方向でしたが、途中、象徴的な光景を見ました。
それは中国自動車道脇にもうもうと黒煙を上げる煙突です。なにかと訪ねたら焼却炉だったのです。
普段はきちんと分別してゴミを焼却しているのでそもそも煙の出ないハイテク焼却炉だったそうですが、今はそういう状況ではない、これによって下手をすると焼却炉の耐用年数が大幅に縮まったかもしれない、という話を聞きました。
現地に着くと、地震以来ずっと社員の安否確認などで追われていたであろう社長やスタッフの方々はそれでも暖かく出迎えてくださり、疲れた顔も見せず時間のない中でほぼぶっつけのビデオインタビューと工場の紹介を行ってくださいました。後日談としてはこれにより大幅な株の下落も起きず、10日未満の操業停止で済み、事なきを得たのですが、神戸の惨状はある程度(「まさに「ある程度」)復旧するのにさえ数ヶ月かかったことを思うと1泊でさっさと帰ってしまうのがとても気が引けました。
この12年、独立してから仕事で関西にずいぶんたくさんご縁をいただきました。
神戸はもう、何もなかったかのように復興しましたが、そもそも趣味のごとく献血するようになったのも、あのときのことがあったからかもしれません。数年前にふと仕事で関西に行ったときに時間が空き、何か出来ることないかと思っていたときに目の前に献血車があったからです。
今年も元気に仕事が出来ることは幸いなことです。
さらに幸いなことに年初より、仕事のことでもIABCのことでたくさん問い合わせをいただき、なかなかブログすら書けませんでした。
年初から言い訳はよくありませんが、今年も頑張ります。
よろしくおねがいいたします。
サラリーマンで広報部にいながらメディアリレーションとコーポレートコミュニケーション、加えてウェブサイトの運営をこそこそ始めていた頃でした。
家を出る前に見た朝のニュースではまだ詳しい様子はわからず、大きめな地震程度の認識でいましたが、会社に着き、カフェテリアのテレビに映った火の海をみて、体が凍りつきました。
本当にありえない、そんな光景でした。
当時勤めていた会社は外資系でしたが、大手の日本企業と一緒にジョイントベンチャーを始めたばかりで、兵庫県に大きな半導体工場を稼動させていました。
社名にも「神戸」がついていた会社ですから、米国本社でも「同じ地名でこれだけの大惨事になっていれば工場は壊滅的であろう」と思うのも当然でした。
実際には工場は明石の北40キロの西脇市にあり、操業こそ停止しましたが人命に関わるような大きな事故にもならなかったのは奇跡的でした。しかし中心地で5000人以上もの方が亡くなっていることを思うとその現状は想像の域を越していました。
広報としての最初の仕事は、北米をはじめとする海外の投資家や経営者などに状況を正しく伝えることでした。今のように個人が動画を撮って即Webにアップ、という時代ではなかったので、1週間後に本国のメディアリレーションマネージャーとアメリカの新聞記者が取材に来るということになり、アテンドで一緒に神戸に入りました。
飛行機が旋回したとき見えた地上は、焼けて真っ黒の地域とそれ以外はブルーシートで覆われて青く染まっていたのが印象的でした。
かろうじて新神戸のそばのホテルに泊まることが出来ましたが、隣の異人館も、目の前の商店街もぼろぼろでした。私自身は取材の同行なので現地の手伝いなどは一切出来ませんでしたが、全ての人が「生きている人はとにかく復旧作業にたずさわっている」ようにうつりましたが朝からあわてず、粛々とやっている人々の姿を見て、海外の新聞記者はとても驚いていました。
なにせ街中を抜ける時にタクシーから見た景色は、本当に海外の戦場のようだったのです。しかしテレビでみたニュース映像と現場を生で見ることの一番の違いは「臭い」だと思います。場所によっては被害が見えないようなところも有ったのですが、あの異様な臭いだけは、当時街全部を覆っていたのではないかと思います。
記者と本社のマネージャーは「オー」か「アー」しか言葉が出ませんでした。
半日以上、食べ物が喉を通らなかった記憶があります。
向かった工場は西脇ですから被災地とは反対方向でしたが、途中、象徴的な光景を見ました。
それは中国自動車道脇にもうもうと黒煙を上げる煙突です。なにかと訪ねたら焼却炉だったのです。
普段はきちんと分別してゴミを焼却しているのでそもそも煙の出ないハイテク焼却炉だったそうですが、今はそういう状況ではない、これによって下手をすると焼却炉の耐用年数が大幅に縮まったかもしれない、という話を聞きました。
現地に着くと、地震以来ずっと社員の安否確認などで追われていたであろう社長やスタッフの方々はそれでも暖かく出迎えてくださり、疲れた顔も見せず時間のない中でほぼぶっつけのビデオインタビューと工場の紹介を行ってくださいました。後日談としてはこれにより大幅な株の下落も起きず、10日未満の操業停止で済み、事なきを得たのですが、神戸の惨状はある程度(「まさに「ある程度」)復旧するのにさえ数ヶ月かかったことを思うと1泊でさっさと帰ってしまうのがとても気が引けました。
この12年、独立してから仕事で関西にずいぶんたくさんご縁をいただきました。
神戸はもう、何もなかったかのように復興しましたが、そもそも趣味のごとく献血するようになったのも、あのときのことがあったからかもしれません。数年前にふと仕事で関西に行ったときに時間が空き、何か出来ることないかと思っていたときに目の前に献血車があったからです。
今年も元気に仕事が出来ることは幸いなことです。
さらに幸いなことに年初より、仕事のことでもIABCのことでたくさん問い合わせをいただき、なかなかブログすら書けませんでした。
年初から言い訳はよくありませんが、今年も頑張ります。
よろしくおねがいいたします。
2010年10月20日(水)更新
ソーシャルネットは非営利団体の見方となるか?
友人で社会起業家、ソーシャルカンパニー代表の市川裕康さんは、主に米国を中心とした海外英字メディアから、社会起業家、社会イノベーション、そしてソーシャルメディア等のキーワードで気になるトレンドを追いかけ、情報発信しています。
そんな市川さんから、講談社現代ビジネスの「ソーシャルビジネス最前線」というコラムを書きましたとお知らせをいただきました。
今週書かれた”フェイスブックユーザーの5人に一人が使う寄付プラットフォームアプリ「Causes(コーズ)」の威力”はとても説得力のある興味深い話でした。
あるところで読んだ資料では、欧米の同経済水準の国に比べ、日本は寄付やボランティアに対する関心やアクションが著しく低いとありました。その原因のひとつが教会や学校、ボーイスカウトなどの「場」で寄付やボランティアに関わったり意識したりする機会が少ないこととも言われています。私自身も日常的には献血程度の貢献しか出来ていないのが実情です。
この「Causes」は自分が興味・関心のあるチャリティ、社会、政治、宗教的な活動に関し、フェイスブック上の友人・知人に意識を喚起し、寄付を募ることを可能にするアプリケーションなのだそうです。SNSの利点を活かせば、個人のつながりとして共感レベルの高い友人や知人に広く自分の支援する「Causes」への寄付や情報告知の依頼を知らせることが出来ます。
残念ながらまだ日本のNGOやNPOの登録はありませんが、フェイスブックに限らず、日本のSNS上でも同様の仕組みが出来たら、意識を喚起するのにとても役立つような気がします。
企業コミュニケーションの観点からも、企業がCSRの一端でNGOやNPOを支援する活動も増えています。
たとえば「ミラバケッソ」のCMで有名なクラレさんは「ランドセルは海を越えて」と題し、国際援助NGOのジョイセフ(JOICFP)を通じて使用済みのランドセルをアフガニスタンやモンゴルの子供たちに送っています。(2010年はすでに締め切りました)
日本のランドセルはとても丈夫で、内戦で国状の厳しい国や物資の乏しい国では、両手が空くことで移動が安全、青空教室のようなところでも地面に座れば机代わりにもなるので、とても重宝されているようです。
ジョイセフは所員の半数がブロガーでツイッターも活用するソーシャルメディアに積極的なNGOですから、「Causes」のような仕組みが日本でも出来れば、認知や協力がさらに加速化されると思います。
うちの6年生の娘のランドセルも来春には海を渡る予定です。
そんな市川さんから、講談社現代ビジネスの「ソーシャルビジネス最前線」というコラムを書きましたとお知らせをいただきました。
今週書かれた”フェイスブックユーザーの5人に一人が使う寄付プラットフォームアプリ「Causes(コーズ)」の威力”はとても説得力のある興味深い話でした。
あるところで読んだ資料では、欧米の同経済水準の国に比べ、日本は寄付やボランティアに対する関心やアクションが著しく低いとありました。その原因のひとつが教会や学校、ボーイスカウトなどの「場」で寄付やボランティアに関わったり意識したりする機会が少ないこととも言われています。私自身も日常的には献血程度の貢献しか出来ていないのが実情です。
この「Causes」は自分が興味・関心のあるチャリティ、社会、政治、宗教的な活動に関し、フェイスブック上の友人・知人に意識を喚起し、寄付を募ることを可能にするアプリケーションなのだそうです。SNSの利点を活かせば、個人のつながりとして共感レベルの高い友人や知人に広く自分の支援する「Causes」への寄付や情報告知の依頼を知らせることが出来ます。
残念ながらまだ日本のNGOやNPOの登録はありませんが、フェイスブックに限らず、日本のSNS上でも同様の仕組みが出来たら、意識を喚起するのにとても役立つような気がします。
企業コミュニケーションの観点からも、企業がCSRの一端でNGOやNPOを支援する活動も増えています。
たとえば「ミラバケッソ」のCMで有名なクラレさんは「ランドセルは海を越えて」と題し、国際援助NGOのジョイセフ(JOICFP)を通じて使用済みのランドセルをアフガニスタンやモンゴルの子供たちに送っています。(2010年はすでに締め切りました)
日本のランドセルはとても丈夫で、内戦で国状の厳しい国や物資の乏しい国では、両手が空くことで移動が安全、青空教室のようなところでも地面に座れば机代わりにもなるので、とても重宝されているようです。
ジョイセフは所員の半数がブロガーでツイッターも活用するソーシャルメディアに積極的なNGOですから、「Causes」のような仕組みが日本でも出来れば、認知や協力がさらに加速化されると思います。
うちの6年生の娘のランドセルも来春には海を渡る予定です。
2009年11月13日(金)更新
「愛の毛布と再生自転車」日本郵船取締役相談役・草刈隆郎さん
一昨日の日本経済新聞夕刊に、日本郵船取締役相談役の草刈隆郎さんの
「愛の毛布と再生自転車」という記事が出ていました。
「1Q84」がベストセラーになったことで、その当時(1984年)にあったことを
回想されていました。
この年、エチオピアで大飢饉が起こり、ユニセフが世界中の国に支援を呼び
かけたそうですが、日本の割り当ては毛布だったそうです。
草刈さんは当時定期航路の課長をされていて、事業損を覚悟で寄付で集め
た毛布を輸送されたそうです。
ところが、荷揚げと同時にほとんどの毛布が略奪され、善意は無に帰すこと
となったそうです。
このような状況は現在でも中東やアフリカ、アジアへの支援でも散見するもの
ですね。
さて、草刈さんは社長になってからもこのときの悔しい思いが忘れられなかっ
たそうです。
そのときに出会ったのが「ジョイセフ」という発展途上国の妊産婦と女性を支
援するNGOだったそうです。
多くの医療援助系のNGOが海外発のものであるのに対し、ジョイセフはなん
と日本で、40年前にスタートした団体。
第2次世界大戦以前の日本ではまだ女性が安心、安全に妊娠、出産できる
環境が整っておらず、妊娠や出産に関わる死亡事故などが少なくなかった。
しかし戦後のわずかな期間に母子保健や衛生、家族計画などの教育を徹底
的に行った結果、現在では世界で一番安全に出産、保育できる国になったこ
とを受けて、そのノウハウを持って人口問題や保健衛生問題を持つ国を支援
しようと言うのが発足のきっかけだったそうです。
現在はHIVや若年層からの無理な妊娠出産を防ぐ教育支援から、政策提言、
使い終わったランドセルや文房具、そして放置された自転車を再生して送っ
ているそうです。
ランドセルは就学率の向上、自転車は助産婦が村から村へ駆けつけるのに
とても重宝するそうです。
話は戻りますが、そこで草刈さんはジョイセフが集めたこの再生自転車を、略
奪されないように丈夫なコンテナで配送(コンテナも寄付)するようになったそ
うです。(略奪もなく無事に届けられるようになったそうです)
駅前に放置される自転車を見ると「やれやれ」と思いますが、アフリカでひとの
命を守るために日本の「ママチャリ」が活躍しているというのはすこし誇らしい
話ですね。
日本郵船
http://www.nyk.com/index.htm
ジョイセフ
http://joicfp.or.jp/jpn/index.shtml
再生自転車を送ろう
http://www.joicfp.or.jp/jpn/kokusai_camp/syusyu/hagaki/mccoba.shtml
「愛の毛布と再生自転車」という記事が出ていました。
「1Q84」がベストセラーになったことで、その当時(1984年)にあったことを
回想されていました。
この年、エチオピアで大飢饉が起こり、ユニセフが世界中の国に支援を呼び
かけたそうですが、日本の割り当ては毛布だったそうです。
草刈さんは当時定期航路の課長をされていて、事業損を覚悟で寄付で集め
た毛布を輸送されたそうです。
ところが、荷揚げと同時にほとんどの毛布が略奪され、善意は無に帰すこと
となったそうです。
このような状況は現在でも中東やアフリカ、アジアへの支援でも散見するもの
ですね。
さて、草刈さんは社長になってからもこのときの悔しい思いが忘れられなかっ
たそうです。
そのときに出会ったのが「ジョイセフ」という発展途上国の妊産婦と女性を支
援するNGOだったそうです。
多くの医療援助系のNGOが海外発のものであるのに対し、ジョイセフはなん
と日本で、40年前にスタートした団体。
第2次世界大戦以前の日本ではまだ女性が安心、安全に妊娠、出産できる
環境が整っておらず、妊娠や出産に関わる死亡事故などが少なくなかった。
しかし戦後のわずかな期間に母子保健や衛生、家族計画などの教育を徹底
的に行った結果、現在では世界で一番安全に出産、保育できる国になったこ
とを受けて、そのノウハウを持って人口問題や保健衛生問題を持つ国を支援
しようと言うのが発足のきっかけだったそうです。
現在はHIVや若年層からの無理な妊娠出産を防ぐ教育支援から、政策提言、
使い終わったランドセルや文房具、そして放置された自転車を再生して送っ
ているそうです。
ランドセルは就学率の向上、自転車は助産婦が村から村へ駆けつけるのに
とても重宝するそうです。
話は戻りますが、そこで草刈さんはジョイセフが集めたこの再生自転車を、略
奪されないように丈夫なコンテナで配送(コンテナも寄付)するようになったそ
うです。(略奪もなく無事に届けられるようになったそうです)
駅前に放置される自転車を見ると「やれやれ」と思いますが、アフリカでひとの
命を守るために日本の「ママチャリ」が活躍しているというのはすこし誇らしい
話ですね。
日本郵船
http://www.nyk.com/index.htm
ジョイセフ
http://joicfp.or.jp/jpn/index.shtml
再生自転車を送ろう
http://www.joicfp.or.jp/jpn/kokusai_camp/syusyu/hagaki/mccoba.shtml
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