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2007年04月02日(月)更新

桜の公園でビジネスの基本を学ぶ

昨日の日曜日は恒例の世田谷美術館の桜祭りで、フリーマーケットに
参加してきた。

昼間の間ずっと暖かく、ずっとTシャツ1枚でいたため、日焼けするほど
だった。
桜も満開で、人出もかなり多く、フリーマーケターにとっても絶好の日和
だった。

最近はお客さんもフリーマーケット慣れしているので、かなり厳しく値切
るし、自分から話しかけてこない。

こちらとしては夕食のおかずがかかっている、というのは冗談としても、
やはり思い入れがあって買った・使ったものが多いので、できればそ
の思いの伝わる人に売りたいなどとついつい思ってしまう。
もともと価格などあってないようなものだから、捨て値でいいじゃないか、
とも思うのだが、それだと却って「私が買う価値があるのかしら?」と思
われてしまうし、かなりのものが売れ残ってしまうのだ。

お客さんが商品を見るとき、その商品を通して何を見ているのか?何を
欲しているのか?と考えて店に立っていた。
たとえば、本当は必要ないのかもしれないけど、ちょっとだけお金を使って
得した感覚を味わいたい、という人にはさっさと負けてあげる。
明らかにモノの素性を知っている人には、自分がどうこの商品を楽しんだ
かを伝えてあげる。そうすると市場価値に照らし合わせて安ければすぐに
買ってくれる(しかもすまなそうな顔までしてくれる)
意外なことだが、仕入れにきた業者っぽい人もすぐわかる。彼らは値ごろ
感が出来上がっているので、合わなければ粘ることはない。すぐ帰る。

それらをすこし汲み取ることができたからか、なぜか僕らのブースには
最後まで冷やかすお客さんが途切れることはなく、結果、昨日は持って
きたものをほとんど売り切った。

こちらの基本はリサイクルなので売り上げの多寡よりも、売れ残らなか
ったことがうれしかった。
そして、そのことで色んな気づきを得ることができたのかもしれない。

子供にとっても自分が着た服や楽しんだおもちゃも、大事に使えば、また
別の子供が楽しむことができる、ということを知る機会にもなった。

夕方になると少し風が出てきた。日焼けでほてった頬に花吹雪を浴びな
がら帰った。

2007年03月29日(木)更新

タテマエとホンネとから共感を得た植木等さん

先日の鈴木ヒロミツさんに続き、今週は植木等さんの訃報にふれた。
1960年生まれの私にとって、アイドルといえばいしだあゆみ。そして
ヒーローといえば、植木さんだった。
一連のクレージー映画は、年上の兄がいたせいか良く近所の名画座
に連れて行かれて見たものだ。(あとはゴジラと大魔神)

14年ほど前だったか、ハナ肇さんがなくなったころ、衛星放送でクレー
ジーの映画を連続して放送していて、ビデオに撮って何度も繰り返し
見た。これがなんとも破天荒だが吹っ切れていてすがすがしさく、とても
元気になる。
そんな植木さんへの追悼コメントを、本日の読売新聞で井上ひさしさんが
寄稿されていた。(以下抜粋)
 
         ◇           ◇           ◇

高度成長期を迎えた日本は表向きは景気も良く、元気でいた反面、安保
やエネルギー転換、暗殺テロ、都市集中型の政策など、大きく変動してい
た時代だった。
人々は大いに浮かれながらも「このさきどう生きていけばよいのか」という
不安感にさいなまされていた。

そこに登場した植木さんが、青島さんの作詞による「タテマエとホンネの
明示と使い分け」を歌い上げることによって、みんな気持ちが開放される
思いだった。だから絶大な人気を誇ったのだ。

今は「そのうちなんとかなるだろう」が通じない時代になってしまった。
タテマエなしのホンネ、しかも正真正銘の無責任が主役を演じる時代だ。

あらためてタテマエを立ててホンネを統一する生き方を問われているような
気がする。
(抜粋ここまで)
         ◇           ◇           ◇

情報技術導入は進んでいるのに逆にコミュニケーションクライシス(危機)
を起こしている企業をみると、まさにタテマエとホンネのすりあわせができ
ていないからではないか?と思うのだ。

ちょっと前までずっと結果(ツール、WEB開発など)を制作することを生業と
してきたが、上記のことを解決しなければ前に進めないのでは、と感じるこ
とが強くなった。
非常にアナログでアナクロなことかもしれないが、自身の仕事の興味も、
プロセス(現状調査と把握、対策、組織と人材育成)にシフトしている。

時間と手間は少しかかるが、今お仕事をいただいている複数のお客様とは
このようなプロセスを経ることで結果が大きく変わって来ているのと、結果を
客観評価できるのが大きい。(結果は「終了」を意味するものではなく常に
改善すべきだから)

2007年03月14日(水)更新

航空機しりもち事故で想う事。

時々海外旅行(出張)にいくと、現地のローカル線でプロップエンジン
(プロペラ機)に乗るときがある。
数年前、シアトルからバンクーバーまで、今回胴体着陸したボンバル
ディアにも乗った。
国内ではもちろん、先日引退したYS11にも数回乗った。
ボンバルディアはスマートだけど、なんだかインテリアも総プラスチック
という感じで安っぽかったなあ。

今回のニュースで
「速度は劣るけどYS11を使っとけば良かったのにね、
定時就航率99.8%は伊達じゃないと思う・・」

というコメントがあった。
デザインバランスだけでなく、性能的にも安定していた名機だったんだ
なあ、と感心した。
ただ、今、日本のどこかの会社がYS12を設計したとしても、YS11をし
のぐ飛行機を作れるとは考えにくい。
(そもそもターボプロップは作らないだろうけど)

高層ビルやマンションの耐震構造問題もそうだが、構造計算や設計が
精緻になってきているので、みんなぎりぎりで作っているんだ。

もうだれも、40年使うために100年持つモノを作らなくなってしまった。

だから会社も20年持たなくなるのじゃないか?

2007年02月28日(水)更新

【明大生との毎週一問百答】社会の歯車になることに嫌悪感

<質問>
就職について前向きになれません。なぜなら、就職してサラリーマンとして働くことは社会の中の「歯車になること」になるとしか思えず、嫌悪を感じるからです。
この考え方はおかしいでしょうか? 何かアドバイスをお願いします。
(明治大学商学部生)

今週はこんなお題をいただいた。
ご質問をくださった方も、そう入っても商学部で学ばれており、働くこと
を真剣に考えている上でのコメントだと思われる。

ただ、先にコメントをされた槇本さんのアドヴァイスを読むと、ここに集約
されているなあ、と感心しきりで、これ以上何をかいわんや、という感じ
だ。すばらしい。

奔放なくらい自由(奔放)な美大に通っていたせいか、やはり自分も
同様のことを考えていた時期もあった。
しかし、そんなあまっちょろい学生時代をすごした自分にも、働く機会を
与えてくれた会社があったことは、もう時代に感謝するしかなかった。

反面、働き始めてからの自分は、

「いかに通用しないレベルにあるか」

ということを思い知らされる毎日で、それが5年ぐらい続いた。
これもまた、よく5年も我慢してくれたものだと、上司と時代に感謝した
ものだ。

まさに、

「歯車になりたくとも”歯”が立たない」

状況で、

”歯”とはなんなのか、どのようにそれを会得するのか、

そればかり考えていた。

デザイナーになりたくて社会に入った私だが、皮肉にもデザインではその
”歯”を得られることはなく、最終的に見つけたもの、それが「コミュニケー
ション」だった。(広義に捉えればデザインもコミュニケーションだが)

槇本さんのコメントとかぶるが、社会に入ってみれば、相手にかみ合う
どれだけの”歯”を自分が持ちえているかを知ることができる。

それがかみ合うことで、一人ではできないことが実現できることを体感
すると、嫌悪感などどこかへいってしまうのではないかと思われる。

なにより自分が企業の歯車を離れ自律するとき、それを支えてくれる
歯車が、また必要になるのだから。

2007年02月07日(水)更新

【明大生との毎週一問百答】質問第42弾は、「経営者の孤独をどうやって克服するか」

今回の質問者は、久米さんの門下生の方から誘われて「就活
特別セミナー」に参加された重光さんからのものです。

<質問>
経営者は孤独だと言いますが、その孤独をどんなふうにして
紛らわせていらっしゃいますか。
たとえば経営者同士で共感しあうことで癒されるようなご経験が
ありましたら、教えてください。

<おこたえ>
自分の中に色々な違うタイプの価値観を持つことだと考えています。
会社のわたし。友人との間のわたし。家族の中のわたし。趣味の
世界でのわたし。社会の中でのわたし。
それぞれの楽しみと責任、そしてフィードバックや評価があります。

まるで、学校にいるときにいろんな勉強をすることが価値があるのと
同じで、それぞれから得るものは自分を支えている気がします。

かように入り口と出口を複数持ちえているので、一面的な孤独を感
じることはあまりありません。

もし自分の中にに、経営者としての価値観しか持ちえていなかったら、
厳しすぎてきっと耐えられないと思います。
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