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2011年01月23日(日)更新

姿を消すデザイン

オフィスはどうしても乾燥しがちなのでこの時期加湿器が欠かせません。
(夏は除湿機)

通年酷使したせいもあり、お気に入りに無印の加湿器がとうとう壊れてしまいました。

週末に大手の通販サイトや価格比較サイトなどを眺めていたら、気になる「キーワード」が目に付きました。

それは

「目立たない」

というもの。

つまり、多くの人は家電製品に個性や主張を求めず、家の中で存在感がないものを「洗練されたデザイン」として欲してているのです。
ふと気になって検索してみると「任天堂Wii」、「スズキMRワゴン」、「ダイキンエアコン」など、「目立たないデザイン」に言及してる企業が少なくないのがわかります。

この傾向はウェブサイトにも確実に及んできているのではないでしょうか?
Webテクノロジーの進化によって動画やフラッシュ、外部のAPIの取り込みなど、さまざまな機能付加が行われ、多くの企業のサイトはトップヘビーでバナーやリンクの固まりのようになって来ました。それらをいくら「ユーザービリティ」や「アクセシビリティ」でマネージしても、それだけではもう限界のような気がするからです。

General Electric 」やヨーロッパの「Dow chemical 」に限らず、いくつかの大手海外企業のWebサイトは10年ぐらい前から徐々にシンプルになってきています。
すなわち、情報の最適化(棚卸しによる間引き)と内容やストーリー重視で、サイトのデザインそのものが目立たなくなってきている、ともいえます。

世の中全体が情報過多となってきている中、以下に短時間に訪問者の理解を取り付け、共感を得るかという「関係構築」を重要視している結果ともいえます。
また、使われている英語も、以前のエントリー「英語じゃなくてグロービッシュ(Globish)」で書いたように、わかりやすい表現を使うよう、気遣っている企業もよく見受けられるようになって来ました。

それが簡単なようで簡単でないのは「伝えること」よりも「伝わること」に主眼を置かなければ実現しないからかもしれません。

話を戻すと、壊れた加湿器の替わりも、やはり無印さんにすることにしました。
みていたらもうひとつ気になる商品が。

トイレットペーパー型消臭器

muji012111

面白い!思わずポチッとしてしまいました。

これも「姿を消す(目立たない)デザイン」ですね。

2011年01月17日(月)更新

私が見た阪神淡路大震災

16年前の今日。
サラリーマンで広報部にいながらメディアリレーションとコーポレートコミュニケーション、加えてウェブサイトの運営をこそこそ始めていた頃でした。
家を出る前に見た朝のニュースではまだ詳しい様子はわからず、大きめな地震程度の認識でいましたが、会社に着き、カフェテリアのテレビに映った火の海をみて、体が凍りつきました。
本当にありえない、そんな光景でした。
当時勤めていた会社は外資系でしたが、大手の日本企業と一緒にジョイントベンチャーを始めたばかりで、兵庫県に大きな半導体工場を稼動させていました。

社名にも「神戸」がついていた会社ですから、米国本社でも「同じ地名でこれだけの大惨事になっていれば工場は壊滅的であろう」と思うのも当然でした。

実際には工場は明石の北40キロの西脇市にあり、操業こそ停止しましたが人命に関わるような大きな事故にもならなかったのは奇跡的でした。しかし中心地で5000人以上もの方が亡くなっていることを思うとその現状は想像の域を越していました。

広報としての最初の仕事は、北米をはじめとする海外の投資家や経営者などに状況を正しく伝えることでした。今のように個人が動画を撮って即Webにアップ、という時代ではなかったので、1週間後に本国のメディアリレーションマネージャーとアメリカの新聞記者が取材に来るということになり、アテンドで一緒に神戸に入りました。

飛行機が旋回したとき見えた地上は、焼けて真っ黒の地域とそれ以外はブルーシートで覆われて青く染まっていたのが印象的でした。

かろうじて新神戸のそばのホテルに泊まることが出来ましたが、隣の異人館も、目の前の商店街もぼろぼろでした。私自身は取材の同行なので現地の手伝いなどは一切出来ませんでしたが、全ての人が「生きている人はとにかく復旧作業にたずさわっている」ようにうつりましたが朝からあわてず、粛々とやっている人々の姿を見て、海外の新聞記者はとても驚いていました。
なにせ街中を抜ける時にタクシーから見た景色は、本当に海外の戦場のようだったのです。しかしテレビでみたニュース映像と現場を生で見ることの一番の違いは「臭い」だと思います。場所によっては被害が見えないようなところも有ったのですが、あの異様な臭いだけは、当時街全部を覆っていたのではないかと思います。

記者と本社のマネージャーは「オー」か「アー」しか言葉が出ませんでした。
半日以上、食べ物が喉を通らなかった記憶があります。

向かった工場は西脇ですから被災地とは反対方向でしたが、途中、象徴的な光景を見ました。
それは中国自動車道脇にもうもうと黒煙を上げる煙突です。なにかと訪ねたら焼却炉だったのです。
普段はきちんと分別してゴミを焼却しているのでそもそも煙の出ないハイテク焼却炉だったそうですが、今はそういう状況ではない、これによって下手をすると焼却炉の耐用年数が大幅に縮まったかもしれない、という話を聞きました。

現地に着くと、地震以来ずっと社員の安否確認などで追われていたであろう社長やスタッフの方々はそれでも暖かく出迎えてくださり、疲れた顔も見せず時間のない中でほぼぶっつけのビデオインタビューと工場の紹介を行ってくださいました。後日談としてはこれにより大幅な株の下落も起きず、10日未満の操業停止で済み、事なきを得たのですが、神戸の惨状はある程度(「まさに「ある程度」)復旧するのにさえ数ヶ月かかったことを思うと1泊でさっさと帰ってしまうのがとても気が引けました。

この12年、独立してから仕事で関西にずいぶんたくさんご縁をいただきました。
神戸はもう、何もなかったかのように復興しましたが、そもそも趣味のごとく献血するようになったのも、あのときのことがあったからかもしれません。数年前にふと仕事で関西に行ったときに時間が空き、何か出来ることないかと思っていたときに目の前に献血車があったからです。

今年も元気に仕事が出来ることは幸いなことです。
さらに幸いなことに年初より、仕事のことでもIABCのことでたくさん問い合わせをいただき、なかなかブログすら書けませんでした。
年初から言い訳はよくありませんが、今年も頑張ります。

よろしくおねがいいたします。

2010年12月24日(金)更新

日本経済新聞夕刊「フォーカス」に掲載されました。(フォーカスされました、ではない

12月22日の日本経済新聞9面、「フォーカス欄」に

”広報マンの国際団体の日本支部設立に奔走”~企業の「伝える力」磨く

と題し、現在わたしが仲間と行っているIABC(International Association of Business Communicators) の紹介を掲載していただきました。

「ネットの時代」といわれつつも、コミュニケーションクライシスが顕著になり、人の気持ちが荒んでいくのは何故?と思うところがその22日のブログでしたが、実際、夕刊のコラムにもかかわらず、既知の方、この記事を見てコンタクトくださった方含めて、かなりの反響をいただき驚いています。やはり、新聞の力はまだまだ侮れないものがありますね。
また、インタビューしてくださった記者の方のまとめ方が上手でびっくりしました。「短く的確に伝える」こと、これまた一番難しいことでもあります。

20101222nikkei

*著作権の関係でぼかしてあります。記事参照されたい方はぜひオフィスに遊びに来てください。記事以上に詳しくご説明いたします。
実際、IABCのジャパンチャプターはまだ立ち上がったばかりで本格的な活動は来年からとなりますが、多くの方、特に30代前後の若い世代の方々が「何か出来そうだ」という期待でコンタクトしてきてくださっているのが嬉しいです。
そもそも、時代の変化に対応するため職能や職域を越えてビジネスの課題を解決していこう、というのがIABCの主旨のひとつでもありますので、「何をしてくれるの?」ではなく「何が出来るだろう?」というメンタリティは可能性が広がります。

世の中は「ジャパンパッシング(通過)」から「eX-Japan(日本以外)」とすらささやかれるようになって来ています。もう一度日本企業やそのサービス、そこで働く人の良さを「伝える力」を磨いていきたい、と、そんな気持ちでいます。

記事が出た日は自宅に帰ると、子供たちから
「パパ、一体何やったの?歌舞伎役者殴ったとか?」
などと揶揄されましたが、普段裏方として企業や団体のパブリックリレーションのお手伝いをしている身として、自分が出るのは、やはり少し変な気分です。
来年はこの場から飛び出した日本の個性を世界のメディアやカンファレンスで取り上げてもらえるようにしていきたいと思います。

*IABCジャパンチャプターの活動については以下のサイトをご参照ください。
http://www.iabc.jp/

2010年12月22日(水)更新

デジタルツールで「ひととつながる」のは錯覚

昨今、「考えない技術」で注目を浴びている若い住職の小池龍之介さんが、一昨日の日本経済新聞のコラム「領空侵犯」でとても興味深い発言をされていて考えさせられるものがありました。

日本経済新聞電子版を講読されている方はこちらから読めます。

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    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

「デジタルツールを通して人と人がつながると言われますが、それは錯覚だ」とおっしゃるのです。
インタビューの概要は以下の通りです。

ネット空間の情報の海の中で誰もが共通して強い関心を抱くものは「自分の所在」。

自分が人からどう扱われているか、大事にしたいと思われているか、凄く気になるのです。
人は他人から認められたいと思う存在なので自分あてのメッセージが生存に役立つ情報だと錯覚されています。
とくにネットではすぐに返事が返ってくることが確認できるのでそのスピードが脳にポジティブなマークを残す。
そこに問題があり逆の状況(すぐに返事が来ない)と不安、不信感や怒りが生じやすくなる。

ネットへの依存が高まると、バーチャルな情報処理量が増え、心の負担が高まり、心が現実とドンドンと離れて行く。
ちっぽけな快感を求め、絶えず情報端末にアクセスするようになる。
ドーパミンによる一瞬の快楽も、依存が高まれば制御できなくなる。

つながりが欲しいという事は、裏を返せばみんな寂しいという事。寂しさが商売のネタになっている。
情報ツールと距離を置かないと、人は現実の身体感覚を忘れ言語だけであれこれ考える『脳内生活』となってしまう。

    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

確かに情報ツールやネットによって今まで知りえなかった情報を得たり、人との縁を得たり、ビジネスのチャンスが広がったりします。
反面、そこで得た縁や情報を活かすことがどんどん下手になってきている気がします。
ある制作会社のプロデューサーは、物心ついた頃からネットやIT機器に囲まれて育った若い人たちには生活体験が乏しい人が増えてきていて、提案力が弱くお客様に感動や共感を与えられないのでコンペで勝てなくなってきた、と悩んでいました。

人を理解する、共感する、感動する。これらは常に育んでいないと上記のような魔の誘いに囲まれている世の中では簡単に低下してしまうものなのかもしれません。

私の子供たちはバレエやサッカーなど自分がやりたいということをやらせています。もちろんゲームも好きですが、スポーツや表現芸術は出来ること、出来ないこと、出来るようになること、その理由がとてもわかりやすく楽しそうです。反面、小学校ではゲームやメールのやり取り、携帯での話題の共有がないと仲間はずれになる風潮すらあるようで、自分に熱中できるものがない子供は小池さんのおっしゃるような「寂しい脳内生活」にあっという間に取り込まれてしまっています。

ITを駆使して仕事をしている感の強い高城剛さんがかつて「クリエイティビティは移動距離に比例する」と言っていたのがいまだに印象に強く残っています。実際に動く、会いに行く、見てみることが加わって始めて強靭なアイディアが生まれる、ということなのでしょう。

「Real Me」を忘れないように。自分も、家族も、友人も、仕事仲間も。
来年も自分から積極的に動いて、感動指数を養い、「寂しい脳内生活」に陥らないように気をつけようと思いました。
良いタイミングで良い教えをいただきました。

2010年12月21日(火)更新

企業のグローバル化とグローバル人材

近年、社内の公用語を英語にする日本の会社が話題になってきましたが、いまだに懐疑的だったり、格好付けているだけではないのか、とか、それを先導しているリーダーの英語力を揶揄する人さえもいます。

そう思われる方のいらっしゃる会社は、まだビジネス環境の変化が顕在化していないのかもしれません。
自分の仕事にその実感がなければ英語化の意義やそれで生じる生産性の低下に疑問が出るのはあたりまえのことです。

しかし変化が起きてからでは遅い、というのが彼らのメッセージなのではないでしょうか?今このようなことを始める会社は、近い将来大きな変化が来ても(起こしても)対応できることを考えているとしか思えません。むしろ変化を自ら起こし、対応できる会社となり、それだけが自分たちが生き残れる術だと信じているかのように感じます。なぜならこの問題は単に公用語だけのことではなく、言語の意識化にあるコンテキストの共有にあるからです。
英語に関してはいくつかのエピソードがあります。

20数年前に、会社の事業内容もロクに知らずに外資系の企業に就職しました。
その会社のことを知る手がかりは大学の研究室に送られてきた会社案内のパンフレットだけでした。
本当は一番行きたかった自動車会社に人事面接で落ちてしまい、教授からは「そこに来ているDMの中から選びなさい」と言われて選んだ会社でした。今にして思えば何とのんびりしたことでしょう。
大して出来の良い学生ではなかったにもかかわらず、マネージャーはよく私を採用してくださったものだと思います。
もし自分が今の時代で就職活動をしていたらどうなっていただろう、と考えることもよくあります。

入社して驚いたことは、それぞれの部署にネットワーク端末と呼ばれるコンピューターがあり、世界中のオフィスとつながっていたことです。
アメリカやヨーロッパの事務所からメールが来ると隣にあるインパクトプリンターがギャーギャーとうなり、蛇腹に折り畳まれたカーボンコピーペーパー(電子メールのCCの出自)が繰り出されていきます。

朝、オフィスの自分の席に着くと自分が読んでおくべきメールのコピーを秘書の方が置いておいてくださっていたのです。
英語で仕事をするなんて当たり前ですが初めてのことですし、入社してからしばらくは正確に理解しようと、午後3時ぐらいまでずっと辞書を引きながらメールを読んでいて直属の上司に「何やってるの?お前の仕事は翻訳ではなく創造することや表現することだろう」と怒られたこともありました。
基本的には日本人だけのデザインチームでしたが、ひとたび外国人の仕事仲間がやってきたらミーティングもランチも、全て英語になりました。

気がつけばそれが当たり前の職場でずっとやってきました。
いつ英語を勉強したの?ともよく聞かれますが、私自身は英語の習得というよりも仕事(デザイン)を理解したい、理解してもらいたい、と、それだけの日々だったのです。
ある時期、仕事に使う固有名詞を書き出して単語帳を作ったことがありますが、それは300語程度でした。あとはいくつかの動詞と形容詞、そして意思表示さえ出来れば会話は成立しました。
一番面白かったのは8カ国ぐらいの人間が集まって会議をしたとき、一番コンテキストを共有できなかったのが本国のアメリカ人だったというこもありました。
http://crossmedia.keikai.topblog.jp/blog/110/10020815.html

時間はかかりましたが少なくとも海外の仲間と働くことに何のストレスも感じなくなれたのは本当にラッキーなことでした。

独立してからもエピソードがあります。
数年前に海外企業に買収され、一夜にして外資系になった企業から問い合わせをいただいたこともあります。買った会社は、これからは自社のイントラネット(当然全て英語)を使え、と言ってくる訳です。しかし日本の会社で働く社員の3分の2は業務で英語を使う日常を経験したことが無い人たちでした。問い合わせはそのイントラネットの統合の話でしたが、現実的にはツールだけで解決できる話ではありません。わたしの提案は先ず広報部を再編して本社とのコミュニケーションをブリッジ(橋渡し)させるチームとそのプロセス作りでした。メンバーには社長室の方にも加わっていただきました。やはりコンテンツ(内容)だけではなく、コンテキスト(文脈や思い)を伝えるプロセスがなければ「もう言ってあるからね」ではコミュニケーションにならなかったのです。


公用語の問題だけではなく、今後企業の中でコミュニケーションに関わる部門や担当の役割は非常に重要になってきます。
なぜなら冒頭の例のように経営者の方が「変化対応して企業が成長していくためにはコミュニケーションが重要だ」ということに気付き始めているからです。

しかし今、このことに気付いているの会社の多くは不祥事や事故で失敗をしたり(悪いことではないですが)買収されたり、会社を取り巻く環境に大きな変化が現れていたりするところばかりです。逆に言えばそういう会社だからこそアクションが早いのかもしれませんね。

今年、IABCという団体の日本支部をスタートさせました。
幸いなことに同年代の経験の豊富な、意識の高い共感者が何人もコアメンバーとして集まってくださいました。
しかし驚いたのは逆に参加に興味を持ってくれた若い方から感じる「焦燥感」です。
今の会社や社会のペースでは遅いのではないか?と感じている方が現れ始めたのはとても有望な兆しだと思います。
今年は慎重に「仕込み」を行ってきました。来年は年明けから色々とアクションをとる予定です。

ご興味をいただける方はお気軽にご連絡ください。
http://www.iabc.jp/
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