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2006年09月22日(金)更新

文章で人に思いを伝える力

最近、ブログだけでなく、文章を書く機会がとても増えてきました。

今日は、ある企業のホームページをリニューアルするにあたり、その企業の
代表者や幹部社員の方々数名にインタビューを行い、沿革や会社の特徴を
文章でまとめていました。

意識するのはもちろん読み手であり、ひとつのパラグラフのボリュームや表現
にとても気を使います。
しかし書き始めて気がつけば、、文章量が4000文字を超えてしまいました。
自分の中では2000文字程度に抑えるつもりだったのに。。。

ふと、その企業の採用案内を見ていたら、「志望動機を800文字以内にまとめ
て提出せよ」、と書いてありました。

ある意味4000文字使って書くことは楽ですね。
限られた文章量で的確に表現する方がよっぽど難しい。

800字というのは、こじつけですが、陸上競技で言えば短距離走(無酸素運動)
と長距離走(有酸素運動)の中間、最もつらいといわれる400メートル走に近い
のでは、と思いました。
書ける用でいてかなり限られている。

さすがに出版系の会社だけあってハードルが高いなあ、と、うまく陸上ネタでま
とまったところで、「お後がよろしいようで」。

2006年09月21日(木)更新

ブログマーケティングの極意

現在、多くの企業が新しいマーケティングのアプローチとして、影響力
を持つブロガーとのコミュニケーションをとろうと必死になっているようで
す。
正確に言えば、代理店がそのように企業を焚きつけている、というのが
現実ではないでしょうか?

そのこと自体は問題はありません。

ただ、時事通信の湯川さんが良くお話してくださるように、企業の仕掛
けでブロガーがちょうちん記事を書き、それが発覚したおかげでボイコ
ットが起こり、ブランド(清涼飲料水)がなくなった(販売中止)という例
もあります。
ネットは新聞を殺すのかblog
http://kusanone.exblog.jp/

私がここで言いたいことは、このようなエマージングテクノロジー(発展
段階にあるにもかかわらず急激に普及している技術)を企業が利用す
るには、その功罪(メリットとリスク)を、自ら使い込んでよく理解すべき
だ、ということです。

いままでのオンラインテクノロジーは、言ってみればコミュニケーションの
根幹に立ち入るものがあまり多くありませんでした。
ですので、仮に数千万かけたとしても、「思ったほど効果がなかった」と
いうことはあっても、そんなに大きなリスクはなかったのでは、と思いま
す。

しかし、今直面するブログを利用したバズ(BUZZ・口コミ)マーケティン
グはその根底に「相互信頼(もしくは相互リスペクト)」が必要になります。

企業に「裏切られた」、「利用された」と感じた発言者や訪問者の感情の
スピードは音速(光速)です。

先週出席した百式田口さんの「勉強会議」では、ブログマーケティングに
関して良いヒントを与えてくれました。

以前のマーケティングでは、BUZZを作るためにマーケットの母数となる
大きな集合を探し出し、そのうちの5%が好きになる、買ってくれるように
仕向ける世名コミュニケーションを行っていました。

今では嗜好やマーケットそのものが複雑になり、特にマスからの影響を
受けにくい、という状況にあるのだと思います。

ブログマーケティングの突破口は、少数の特徴ある、しかし影響力を持
った集団にアプローチし、彼らのすべてが商品やサービスを好きになる、
というコミュニケーションをするところにある、というものです。

ここの満足度が高く、ブロガーのリレーションから伝播のスピードも速い
というものです。

ここでのポイントは上記で挙げたようにリスペクトや信頼にあると思います。
すなわち、完全な人間がいないように完全な製品やサービスもなかなか
存在し得ない、となれば短期的な批判やネガティブコメントも出てくるわけ
です。
企業が短気を起こさず、そのコメントの根っこはどこにあるのか?なぜそ
のようなコメントを言いたくなったのか?(最悪なのは無視、と昔から言い
ますよね?)を理解し、受け止める気持ちが重要です。

コーポレートコミュニケーションを、戦略性をもって行うために「どこから手
をつけてよいかわからない」と悩む企業は少なくないようですが、上記の
ような「機会」を積み上げていく努力が差になっていくのだと思います。

2006年09月20日(水)更新

コミュニケーション能力の欠如に対する対処法

本日、参加しているあるネットのコミュニティで、こんな話題が持ち上
がっていました。

=====================================================
HELP!英語が出来る人が仕事が出来るとは限らない?

みなさんにお聞きしたくてトッピック作成いたしました。
会社で、「英語が出来る人が仕事が出来るとは限らない!だから、君
が仕事が出来るとは限らないんだ!」と断言されて、傷ついています。
この部署というかこの地区で、英語が堪能である人が私以外で皆無に
等しいので焼きもちをやかれているのは知っているのですが、やっぱり
そんな事言われると傷つきますよね・・・。
入社2年目の人にいうことかしら?
もちろん、英語で何をしていくか、だと思いますし、英語も実力のうちだ
と考えているのですが、皆さんは、どうお考えですか??
今後も英語力を伸ばしていきたいな、と考えています!
=====================================================

ひどく飛躍した物言いですが、やっかみかどうかともかくとして、背景に
きっと何かがあったのでしょうね。
こういうことはとても特別なことではなく、わりとどこの職場でもあるこ
となのかもしれません。
しかし、こういう人(同僚?上司?)とは、そのまま議論することはナン
センスです。
私も経験がありますが、社会人(特に勤め人)やっていると、いろいろ
な人がいますよね。
わたしにも、大局を見ずに重箱の隅を爪楊枝でほじくるような上司に悩
み、やる気を失いかけたことが何度かありました。
そのときに心がけたのは、彼を理解することでした。
「なぜそのような言動に及ぶのか?」
彼の言動に賛同する、あるいは従うのは大変ですが、理解することで
あればできるはずです。
そして、理解できると、そんなに気にならなくなります。
なぜかというと、そのとき自分はすでに彼・彼女を超えているからです。

質問者の彼女の価値は彼の意識を超えたとき、さらに大局を見ている
人によって認められるはずです。

他社理解に勤めることはあらゆる場面でかなり有効に働きます。
なぜなら、人は自分を理解してくれる人を受け入れたいと思うからです。

英語が上達するのも、仕事のプロとなるのも、基本的なコミュニケーショ
ンの問題においては、そのアプローチは同じだとおもいます。

2006年09月15日(金)更新

スペックでは図りきれない「使いやすさ」

家人のデジタルカメラにガタが来たようです。。。
5年前に買った200万画素の製品でよく使ったがさすがに
画質に厳しいものがありますね。

デジカメに限らずですが、車でも何でも日本人はスペックが
大好きですね。でも、スペックだけで物を評価しても、使って
みると意外に満足度が低いものも少なくありません。

デジカメは最近10メガこえているようですが、プロのデジカメ
評論家でも、「普通に使うなら6メガもあれば十分。それよりも
手ぶれやレンズの明るさなど、使いやすさに目を向けたら」
などというようになってきました。

私自身の性格もありますが、きちんとマニュアルを読むのが
あまり好きではありません。
なぜかというと、マニュアル自体がどうも製造物責任を前提に
作られているせいか、解説のステップがまどろっこしいのと、
「ユーザーのやりそうな行動」に基づいて作られていない場合
が多いからです。
私自身、今年の頭に1眼レフのデジカメを買いましたが、売れ筋
トップ3のメーカーのものではありません。
もともとアナログではずっとN社を使い続け、レンズもいっぱい
持っているのですが、、、あえてこのA社にした理由はこうです。

2時間ぐらい暇な時間があるときに家電量販店に行き、売り場
のお兄さんのお勧めを無視し、自分が使う立場でやりそうな一
連の行動をマニュアル一切なしにやってみたのです。

売れ筋のC社やN社はちょっと癖があり、きっかけがつかめない
となかなか中に入っていけない。しかしA社はそれが簡単でした。

高齢者でなくても、毎日持ち歩くならいざ知らず、1週間に1回
程度では細かいことは忘れてしまいます。

そんななかで、
「撮る」→「ヴューモードにする」→「拡大して確認する」→「ボケ
ているものを削除する」→「モードを変えて撮影してみる」→「見
比べてみる」
などの一連の流れがわかりやすくできるかどうかを確認します。

コンパクトデジカメを母(70代)に買ってあげたときも同様でした。
売り場でいじってみて、一番インターフェイスがわかりやすいもの、
ボタンやスイッチが大きく、動作が確実なものを選びました。
デジタル音楽機器も同様ですよね。

こういうことを書くとデジタルに弱いアナログ親父に見えるかも
しれませんが、インターフェイスデザインは機器と人をつなぐ重
要なコミュニケーションポイントです。

WEBサイトも販売促進系のもの(特に携帯電話の製品ページ
)は凝ったフラッシュで新鮮さを訴えるものが多いのですが、
ほかの機種を見ようとするといちいち儀式のように戻って最初か
ら見なければならないことが多く、その割には、肝心の比較が
できないなど、いらいらすることが少なくありません。

欧米の企業サイトやサービスサイトを見ていると、アクセシビリテ
ィの対応もあるせいか、ここ数年でとてもシンプルになってきて
います。

シンプルでわかりやすいデザインはデザインコンセプトの芯の強さ
が求められるので、かえって難しいのですが、情報を提供する側
が、どこまで見る側の気持ちをくみ上げることができるか?がキー
になるのではないかと思います。

「WEBサイトやイントラ、どこから手をつけていいのか?」
と悩み、お問い合わせをいただくお客様が多いのですが、「自社は
どうしたらいいか?」から「相手は何を求めているのか?」に視点を
うつすと、おのずとやるべきことの輪郭が見えてきます。

内容やメッセージも、もちろん大事ですが、このような視点で考え
抜かれたWEBサイト(インターフェイス)にはシンパシーがにじみ出
てくるから不思議です。

2006年09月13日(水)更新

奇異なキャリア(その5)

私が企業のWEBサイトを通じて企業(コーポレート)コミュニケーションを
考えるようになったのは、ひとえに当時お世話になっていた外資系企業
の立ち上げに関わらせていただいたからです。

当時はまだプロフェッショナルと呼ばれる制作会社もほとんど存在してお
らず、

「まず自分たちがきちんと把握しなければ何も始まらない」

という状況でした。

「技術」、「デザイン」、「コンテンツ」の3つのバランスをもってコミュニケーシ
ョンを作っていく。
また、当初より既存コミュニケーションメディアとのメディアミックスを考えたり
ブランドやメッセージを統一する視点、そしてコンテンツ管理からセキュリティ
、データ保護の視点からもしっかり考えていました。
立ち上げから約1年後に同様の外資系IT企業に転職したのですが、そこで
おこなっていたWEB管理およびチームの活動は前職とほとんど同じだった
ので、「ああ、これはベストプラクティスなんだな」と思いました。

こういう場に立ち会えたことは本当にラッキーでした。
しかし日本では、周りの理解も少なく、わたしはまだまだ孤立していました。
ですので、ほかの企業の広報や同様の仕事(WEBの管理)をされている方
にアポをとり、他社はどんなことをやっているのか、情報交換をしようと思い、
良く会いに行きました。

ただ、現実的には、私以上に孤立している担当者、というよりも、
1.上司や経営者はほとんど理解していない
2.とりあえずお前やれ、といわれたが自分も良くわからない
3.「少なくとも他社と同じ体裁にしてくれ。材料はこれ(会社案内)」と、業者
  に丸投げ。

というような状況でした。

そこから先は、戦略性など持ちえるはずもなく、逆に制作会社や代理店に
とってみると「新しい商圏」となるわけですからばんばん営業をかけてくる。

そのときからいままで、企業のWEBサイトのベンチマークをずっと続けてい
るのですが、日本の企業は芯がないまま、積み上げてしまったジェンガの
ような状況です。
インターネットは2~3年おきに技術革新があり、その適応を迫られますが、
最初にコミュニケーションツールとしての指針をしっかりと持っている欧米
企業はこれらに対する適応もスムーズで、過去のコンテンツの管理もあまり
破綻がありません。
翻って多くの日本企業では、新しい技術を適応しようとするとフルスクラッチ
(1から作り直し)、もしくは過去のものはそのまま放置して部分最適化、と
いうのがほとんどです。
10年追い続けて、積み上げた数千ページをどうしようもなくなってきた、とい
うのが実情ではないでしょうか?

「どこから手をつけてよいか、わからない」

良くこんな相談を受けます。
もちろんきちんと調べれば、道筋は見えてきます。
しかし多くの担当者は、他社のサイトをじっくり見たことも少なく、自社サイト
すら全容を把握していない人もいます。
ましてや、他社がどんな管理方法をとってやっているのかなど、直接の競合
でなければ、会いにいって話を聞くことはいくらでもできると思うのに、そのよ
うな自助努力をされている方が非常に少ない。

時々いただくセミナーの機会に、よく「わたしとだけでなく、参加者同士で名刺
交換をして情報交換できるネットワークを作ったら?」とお話します。
あるセミナーではすぐにメーリングリストを作り、いまだにメールベースで意見を
交換しているところもあります。

企業に勤め、ビジネスパーソン時代に何年かWEBに触れ、近い将来独立する
ときのイメージがかなり固まりました。

それが「WEB制作会社」ではなく「オンラインからコーポレートコミュニケーショ
ンを考える会社」です。
そこに差別性と将来性を感じていました。
しかし現実には思ったよりも大きな壁がありました。

(つづく)
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