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2008年02月25日(月)更新

弥生美術館に日本のアールデコを見る

「ナスカを見に行け」といっておきながら、昨日自分が行ったのは、
近所の根津にある弥生美術館だった。

ここは竹下夢二のコレクション、ひいては高畠華宵(たかはたかし
ょう)のコレクションで有名なのだが、目的は「小林かいち」展だ。

小林かいちは戦前に京都で活躍した「版画家」で、おもに「京都さ
くら井屋で手掛けた絵葉書と絵封筒、便箋が有名だ。

http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/

kaichi
全般的に寂しげな女性の姿を描いてるものが多いが、時代の移り
変わりの激しかった明治の時代の女性の気持ちを、アールデコ・
モチーフで描く力、その色彩センスはエルテの作品よりも力強くす
ら感じる。
ましてや絵葉書や封筒という普段使いの、いわば限られた予算の
庶民の楽しみに作られたものだけに、その「はかなさ」も相乗され
るかのようだ。

小林かいちは、つい今月の初め、遺族が現れるまでは本名も経歴も
性別すらも不明だった。
今では小さな封筒や絵葉書1枚に1万円以上の値がついているよ
うだが、体力使って集めなくても、こうしてゆっくり美術館で見られる
のは幸せだ。
すばらしい画集も出ているが、現物の繊細な版画独特のタッチ、色
彩を見る価値は大きい。

ちなみに(当たり前だが)併設して見られる竹下夢二の数々の絵や、
高畠華宵の作品もすばらしい。それぞれの個性も際立っているし、
特に華宵の描く女性(や美少年)はなんともなまめかしく、70年前
の時代に留まりつつも今も活き活きとしている。

眺めていると隣で家内が頭を抱えており、訊ねると

「先週近所の図書館に寄贈した子供の絵本の一冊と同じものがここ
に展示されている。挿絵が高畠華宵のものだった」ようだ。

まあ、僕らはコレクターではないし、資料として手元において置くより
も多くの子供の目に触れるほうが幸せだろう、ということで美術館を
あとにした。

2007年07月24日(火)更新

油絵を買う。

この週末、6点の油絵を買った。

わたしはいままでも、人の絵が欲しいと思った事が何度かある。
最初は小学校の時の図画工作でお世話になった恩師の方の絵で、今は
日本女流日本画家協会の重鎮だ。
かなり出世しないと手が出ない。
もうひとりはマイミクでもある同じドラマーの芸術家T氏だ。
彼の絵には独特の時空がある。
まるで自分でコントロールできない空間に浮遊するような。
この絵を手に入れるには出世に加えて広い空間が必要だ(何しろでかい)。
これらのためにも日々、仕事を頑張るのだ。
さておき、今回の作者は家内の友人で、若い女性だ。
実は彼女は10年前、家内が参加した世田谷美術館の市民大学の同期
の聴講生のひとりだった。
当初よりその才能に魅せられていたわたしたちは、ことあるごとに彼女の
絵をねだり、すでに家に数点かかげている。
今回はその市民大学の同期生によるグループ展で彼女はなんと新作を6
点も出してきたのだ。
モチーフは自分の飼い犬など身近なものが多いが、単純なイラストのよう
にみえて、ぎりぎりのところで絵画たらしめているところがすごい。
比較しては恐れ多いかもしれないが、まるで晩年の熊谷守一先生の絵の
ようで、その一つ一つが、見るものを和やかな気持ちで包み込む愛に溢れ
ているのだ。
市民ギャラリーでは、さすがに絵の下に赤ピンを立てる訳にもいかないの
で、直接価格交渉。展示を終え、はれてすべての絵が我が家にくる事に
なった。

先日お台場で見に行った展覧会「Ashes & Snow」も才能にあふれた映像
作家のものだったが、ローレックス財団が作品の四散を防ぐために作家の
活動をサポートし、作品は全て買い上げているのだそうだ。
わたしたちも同じ気持ちで、彼女の才能が四散しないよう、パトロネージュ
にいそしむのだ。(スケールは違うけど)
マイペースな彼女だが、このまま、また数点集まったら、彼女のために個
展も開きたい。
しばらくは自社会議室で展示しようと思っている。

どんな絵か?作者の許可を待ってそのうちに公表するとしよう。

2006年12月25日(月)更新

大いなる息抜き

ネットに関わるビジネスをしていると、そのスピードについていく
ことばかり必死になって、何か大事なものを見落としているんじ
ゃないの?と自問自答したくなるときがよくある。

これはとても大事なことで、お客様から問い合わせをいただく事
も、

「本当に今、やる必要があるのか?」

「なぜ、動画なのか?」

「何のためにすべて差し替えるのか?」

「逆になぜすべてをとっておくのか?」

というようなことを感じることが少なくない。

わたしは「とにかく作っておしまい」ではなく、常にお客様とともに
ありたいと考えるので、正直にこういうことをお話する。
ときには、

「なるほど。それではやるのはやめましょう」

で終わってしまうこともある。

業務の帰結するところを「制作」に置いていると、これでは飯は
食えない。

しかし、そろそろその前提のところをきちんと解決しないと、前に
進みようがない状況にお客さんも気がつかれてきているようだ。

話が堅い方向に行ってしまったのでちょっと戻すと、日本でも、ネ
ットの世界で「真剣に遊ぶ」人が増えてきた。

一銭にもならないのにどうして?というようなことが脚光を浴びたり。

米国はそんな先人たちが相当数いる。


このサイトもかなり古く、地道に(?)活動を続ける素敵なサイトだ。


MOMA( museum of modern art )というのはあるが、MOBAだ。

The Museum Of Bad Art
http://www.museumofbadart.org/

これは、フリーマーケットなどで売られている、素人が描いた「あま
りにもひどい」油絵などを集めて展示しているサイト。

しかしこう集められると感動があるのがすごい。
ちょっと前に世田谷美術館で行われた「アウトサイダーアート展」に
近いものがある。こうやってみると、これを完全に無視できない自
分がいる。

「ちょっと1点ぐらいオフィスに飾ってみようか?」という誘惑に勝て
るか?
仕事は減るかもしれないというリスクに勝てるか?

などと想像してみるのも楽しい。

2006年07月03日(月)更新

うまくかこうなんてとんでもない

6月26日に奈良美智さんのことを書いたら、日本実業出版社の吉田さんから
コメントをいただきました。

ありがとうございました!

美術の話で思い出すのは「熊谷守一」という画家です。
熊谷さんは1977年に97歳でお亡くなりになりました。
わたしはちょうどお亡くなりになった年に高校生で、通っていた図書館に小さな
油絵が一枚あり、「なんて心の穏やかな絵なんだろう」と見入っていたのを覚え
ています。
大学1年ぐらい(没後2年ぐらい)に東京で大きな回顧展があり、まとまってみる
のはそのときが初めてでした。

最初期は黒田清輝の指導を受けただけあって、深い写実の油絵を描いていま
した。

50を過ぎた頃から線や面が単純化して行き、切りえのような絵を多く残してい
ます。

「絵で文字でもうまくかこうなんてとんでもないことだ」

という言葉どおり、以下に作為を感じさせない絵を描けるか、を追求していました。
ちょっとでも「うまく」描けると気に入らず破ってしまったそうです。

かつて、昭和天皇が「この絵を描いた子は何歳?」
と聞いたそうで、そのときほどうれしいことはなかったのだそうです。

昔、出張のついでにニューヨーク近代美術館に立ち寄ったことがあるのですが、
そのとき、マチスの素描展をやっていて、鉛筆描きのスケッチを数百点展示して
いましたが、そのとき、熊谷守一さんにすごく似た印象を持ったのを覚えていま
す。


熊谷守一美術館
http://www.kumagaimori.jp/

2006年06月26日(月)更新

奈良美智さんのプロジェクト

昨日の情熱大陸で「奈良美智」さんの特集をやっていましたが、今日、
彼の最新プロジェクトのWEBサイトを覗いてみると相当アクセスが増
えている様子。

美術家も、今までとは違い、展覧会をプロジェクト化し、経過を見せる
ことで価値を高めることができるのだなあと感心していました。
番組の中で印象的だったのは、タイで行われる展覧会のために描い
ている1.5メートル四方の少女の顔の絵について、簡単なデッサンを
元にアクリル絵の具でぐいぐいと描き進めていく姿です。
しかし、「何かが違う」という思いにぶつかり、何度も何度も、色々なと
ころを描き加えたり削ったり。。

「あまりにもデッサンで絵柄を決めてしまうと、なんだか塗り絵みたいで
面白くない。直接作品と対峙しながら作っていく過程が重要だ」という
ようなコメントをされていました。

それはまるで、仏師が仏様を彫るときに、「自分が彫るのではなく、木
の中からお迎えする」というのに似ている感じでした。

番組では、奈良さんの描く少女の顔やまなざしが、この5年で大きく変
わってきた、とも伝えていました。

しかし長年撮りためてきた写真をまとめて2003年に出した写真集を
見ていると、その変化に不思議はない、という気がしました。

これからまた、どんどん変化していく奈良さんが楽しみです。

夏に青森で大きな展覧会をやるようですが、とっても見に行ってみたく
なりました。
http://www.harappa-h.org/AtoZ/modules/news/
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