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2006年08月21日(月)更新

奇異なキャリア(その1)

なぜ、今、コーポレートコミュニケーションなのか?

それを探るべく、今回から何回かに分けて、私自身の奇異な出自を
すこし紹介させていただこうと思います。

以前にも何回か書きましたが、私自身は美大のデザイン科を出てい
て、専攻は工業デザインでした。

普通の大学を出た友人が、「就職とは就社であって、実際どんな仕
事をするのかは、入社してみないとわからない」というのとは違い、
入社前から明確に「欧米向けの電卓やパソコンなど電子機器の意
匠設計」をする、というのはわかっていました。

「人生どんぶり勘定で、良いときも悪いときもある」とはよく言ったもの
で、中学・高校時代の抑圧された(おおげさですが)男子校生活と
(多少の)受験勉強の反動か、大学に入ったとたんに相当数のネジ
が飛び、4年間というもの、勉強はさらり、遊びは全力投球の毎日で
した。

そんな自分にオファーを下さったのは、当時自分が聞いたこともない
外資系のハイテク企業。「やったー!ラッキー」と入ってみたものの、
そこで待ち受けていたのはレベルの高い少数精鋭のプロ集団。
当然仕事についていけるはずもなく、気の小さい僕は 1年目で心身
症になりかけました。

本当の意味で仕事を覚えるのに、3~4年は優にかかったと思いま
す。
しかし、それ以上に大変だったのがクリエイティビティ、創造性です。
私自身は絵(表現)が下手だということ以上に、新しい発想を具体化
して提示する、という能力に欠けていました。
これってデザイナーにとっては決定的で、先輩も、この先、こいつを
どう煮たら食えるようになるのか?と業を煮やしていました。

しかし耐えながら周りを見回してみると、デザインの仕事の周りには、
色々な仕事が取り巻いていることがわかってきました。
マーケティングから、メカニカルエンジニア、ソフトウェアエンジニア、
資材調達、品質管理まで。

新しい提示は出来なくても、そのような人たちがいったい何をしていて
何を求めているのか、は、誰よりも良く理解することが出来ました。
同様に彼らのほとんどが「デザインっていったいなんだかわからない」
といっていたのでした。

「じゃあ、他者(他の業務プロセス)理解に長けたデザイナーっていう
存在価値もあるのでは?」と開き直ったとたん、異様にもてるようにな
りました。
両方の言葉がわかる、という事はインタープリーター(翻訳者)のよう
なもので、それぞれの業務が高度化していく中で、そのニーズが高ま
って来たのです。

それから数年、仕事が楽しくてしょうがなくなりました。
北米だろうと東南アジアだろうと、ヨーロッパだろうと、とにかく呼ばれ
ました。私としてはそれぞれのプロの求めるものを咀嚼し、プロジェクト
の中で最適化していくお手伝いをするだけでした。
しかし、いわゆるプロジェクトマネージャーではないのです。

こうやって単なる工業デザイナーが横道にそれていき、89年にはすでに
スクリプトベースですがFTPを使ってCADデータやデザインデータを米国
やヨーロッパとやり取りを始めていたのです。

もちろんこれは僕自身の発案やアイディアではなく、使えない僕をどう
使おうか苦慮した結果、このような道を提示してくれたマネージャー(命
の恩人)の存在があったからです。

つづきます。
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