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2006年09月07日(木)更新

企業コミュニケーションにおけるビジュアルの重要性

ひょんなことで防衛庁航空自衛隊の方と知り合いになりました。
今度、入間基地で行われる自衛隊のCH-47JヘリコプターやC-1
輸送機の試乗会に誘っていただきました。
(CH-47は燃費リッター200メートルだそうです)
10月に行われるので今から楽しみです。

で、なにが関心したか、というと航空自衛隊入間基地のWEBサイト。
航空自衛隊入間基地
http://www.dii.jda.go.jp/asdf/cacw/index.html


いろいろな場面で働いている人たち(自衛官)を紹介しているのですが
ここで使われている写真がとてもすばらしい。
自衛隊は、一般企業ではありませんが、思わず、入隊したくなるような
ドラマチックなものがたくさんあります。
官公庁関連の中でも出色の出来です。
WEBの場合、写真やビジュアルのアートディレクションまできちんと
気を使っていない企業が多いので、写真ひとつでこれだけ差がつく
という見本になるのではないでしょうか。

海外ではビジネスの現場やそこで働く人、経営者などをどうドラマチッ
クに見せるか、ということに腐心します。
写真にも「コーポレートフォトグラフィー」とか「インダストリアルフォトグラ
フィー」というジャンルがあるぐらいです。

いったいどんなもの?というよい例が、雑誌の「Business Week」です。
ここで扱われている写真は、まさに上記のようなカテゴリーの王道を
行くものです。

私自身は長年この雑誌の写真を切抜きでスクラップブックに集めており、
企業コミュニケーションでビジュアルが必要になるときに参考にしてい
ます。

私はプロのカメラマンではないので、具体的にどんなレンズでどう撮影
してくれ、とは指示できませんが、スクラップブックを見ながら、こんな
雰囲気で撮影するにはどうしたらよいですか?というように相談すると
実現しやすくなります。

ご興味があればぜひオフィスにスクラップブックを見に来てください。
もちろんそういうアドヴァイス込みでアートディレクションをとることも可能
です。弊社ではこのような観点に長けたカメラマンとのコネクションも
あります。

2006年08月25日(金)更新

奇異なキャリア(その4)

私が日本テキサス・インスツルメンツで人事採用のホームページを立ち上げたとき、
会社全体のWEBサイトもありませんでしたし、実は米国本社(www.ti.com)も立ち
上がっていませんでした。

このプロジェクトは人事本部長の了解のもとでスタートしたので、社長はおろか、
取締役の方々の認知もありませんでした。
社長は、外部の会合やレセプションで
「あんたの会社はさすが、進んでいるねえ」
と言われてはじめて気がついた、というような状況でした。

当時は、社長や取締役が
「雨宮君、いったい何やったんだ。そのインターネットって奴を見せてくれ」
といってよく私の机を訪問してくださいました。
しかし、悪い噂(?)が広がるのは早いもので、日本で誰かが勝手にパブリックな
WEBサイトを立ち上げた、というのは本国の耳にも入り、私は早々に本社に呼び
出しをくらいました。

行けば当然、
「基本のデザインフォーマットはこれなので早めにこれにそろえて作り直せ」
といわれるのが関の山だと思っていたのですが、集まっていたWEB開発委員会
のメンバーは、私が部屋に入るや否やみんな席を立って拍手で迎えてくれました。
そして、
「私たちはみんなで集まって一緒に考えているところだ。お前は一人でここまで
よくやった。お前の経験をぜひシェアしてくれ。そしてこちらでも一緒に考えてくれ」
といってくれました。

今の自分のモチベーションの基本はここにあるのかもしれません。

企業コミュニケーションとしてWEBサイトを考える。

その基本姿勢が欧米企業には最初から備わっていました。
そして、その差が10年でかなり大きくなってしまったのが日本の企業のWEB
サイトだと思います。

2006年08月23日(水)更新

奇異なキャリア(その3)

1992年当時というのは、まさにインターネット前夜。仕事でパソコンは使い
はじめてはいたものの、ウィンドウズ3.1ですし、ネットワークという概念は
まだ少なかったように思います。

私が着手したのは広報で用意する会社案内(印刷物)の企画制作。そして
ほぼ平行して人事採用用の入社案内でした。米国本社よりのビジョンメッセ
ージのダウンロードにあわせて、それらを包括的に企画することでメッセージ
やトーンを統一するとともに、アートディレクションもシステム化しました。
これにより、重複がなくなるとともに全体感がはっきりと見えるようになって
きました。
これらはいわば基礎となるもので、DMや展示会、プレゼンテーションを監修
するのもとても楽になりました。
社内で部署をまたいでこれだけのディレクションをとっておくだけで、外注費
用のうち、企画に当たる部分はほとんど割愛することが出来、結果かなりの
コストダウンをすることが出来ました。

もうひとつよかったことは、部署に関わらずコミュニケーションマテリアルを作
成するときは、あいつを呼ぶとスムーズで効果的だ、という評判が出来上が
ったことです。
「Give & Given」ではないですが、常に手を差し伸べることで社内の相談が
自然に集まってくるようになりました。

私自身の人件費はもちろんタダではなく、コストセンターアロケーションという
形で各事業部に請求されます。しかしそれを置いても関与させたほうが得、
という判断をいただいたのはとてもうれしいことでした。

この時期、私の属していた広報(およびマーケットコミュニケーション)部では
IMC(統合的マーケティングコミュニケーション)という、マーケティング側から
コミュニケーションを統合化しよう、というビジネス手法の流れが起きていて、
広告代理店、PRエージェンシー、印刷業者、イベント業者など、外部のサポ
ーターを一堂に集め、お互いの役割を理解しつつ協力してこの会社のコミュ
ニケーションの効果を最大化しよう、という合宿を行っていました。

現代ではIMCもコーポレートコミュニケーションの概念の中での揺らぎだった
ととらえる節もありますが、全社的にコミュニケーションを考える素地にはな
ったと思います。

こんなことを2,3年続けていると突然社長から呼び出され、近々行われる
コンファレンスで使うプレゼンテーションの構成とデザインを見てくれ、と言わ
れたり、本社および各工場の人事部長レベルのエグゼクティブが集まる採
用戦略会議に参加してくれ、と言われたるするようになってきました。

元々僕の属していたデザインチームでは、社内のネットワークとは別途に
インターネットのコネクションを持ち、出来たばかりのモザイクナビゲーター
(最初期のブラウザー)のベータバージョンをダウンロードしてはいろいろな
学術系のサイトを覗いたりし始めているところでした。

そんな時、お世話になっていた人事の採用担当の課長さんが、
「雨宮君、うちの採用はいままで、電気系、物理系の学生が多かったんだ
けど、これからは情報系の学生が採りたいんだ。インターネットは情報系の
学生が見ているから、インターネットで採用やったら面白いんじゃないかと
思うんだけど、ホームページって作れる?」とおっしゃいました。

当時はもちろんWEB制作会社なんて存在しませんでしたし、ホームページ
を作るにも参考になるのは「Mozaic Handbook」という洋書ぐらいしかありま
せんでした。
まあ、でも何とかなうrだろう、ということで二つ返事でやることが決定しました。

ちょうど日本におけるインターネットの商用利用が開示されたばかりで、できた
ばかりのサービスプロバイダー2社(ATTJensさんとIIJさん)に来てもらい、
両者ともにほとんど第1号顧客のような状況で、採用ホームページをスタート
させていただきました。

そもそも自身がPRマネージャーだったため、「日本で最初の人材採用ホーム
ページ」としてニュースリリースを打ち、内容よりもそのニュースバリューで
望むような人材にかなりリーチできた、と記憶しています。

ちょうどインターネットマガジンも創刊されたばかりで、個別取材を受け、創刊
3号に4ページぐらいのカバレージをいただきました。今では考えられない話で
すね。

ここから、私自身の仕事は一気にインターネットに傾いていきました。
30にして「自分の仕事(ポジション)は自分で創る」を実践できたのは本当に
ラッキーでした。

つづきます。

2006年08月22日(火)更新

奇異なキャリア(その2)

私の働いていた外資系のハイテク企業は、いわゆるベンチャーではなく、
戦前より技術革新を積み重ねてきた企業でした。
ですので、いわゆる「大企業病」のような状況に陥らないよう、常に積極
的にビジネスプロセスの改善に取り組んでいました。
80年代には日本を中心にTQC(全社的品質管理)、90年代にはリエン
ジニアリングプログラムを導入しました。

リエンジニアリングは、いわば80年代に米国が指向したスペシャリスト
(専門家)指向のゆりもどしのようなもので、あまりに専門家指向が進み
すぎ業務の横のつながりが薄れ、業務プロセスが非効率になり、開発
時間がかかりすぎ、結果、競争力(特に日本に対し)を失った事への反
省と見ることも出来ます。
80年代、米国に出張すると、向こうのスタッフに自己紹介すると決まって
聞かれることがありました。それは、

「お前のメジャー(専門)はなんだ?」
というものです。
「工業デザインだ」

というと

「OK,俺はメカニカルエンジニアリングだ」

というわけです。

これはどういう意味かというと

「国家らこっちは俺の範疇なので侵食するな」

という事なのです。

その当時から終身雇用ではないわけですから、侵食されると職を失う事
につながるからです。これも横のつながりや業務の協調性を妨げる大き
な原因担っていました。

話を戻すと、そのリエンジニアリングのパイロットプログラムのメンバーに
選ばれたのはとてもラッキーでした。
なぜなら、もともとリエンジニアリング的な仕事のやり方をしていたから
です。
このプログラムでは、実際に1年ぐらいかかっていた開発プロセスを半年
ちょっとでやり終えることが出来、一定以上の成果を出すことが出来まし
た。

しかし、とてもわかりやすい(というかロジカルな、というか割り切った)
会社で、年次売り上げ成長率が5%程度の事業部にリエンジニアリング
を導入して半分強まで生産性を上げられる、という事は、3分の1の人件
費が浮く、ということで、パイロットプログラムの半年後、本格的なリストラ
が始まり、米国では実際に相当数のスタッフが解雇されました。

当時、日本側には6人のデザインスタッフがいたのですが、米国側は、
「お前らは日本の雇用なので直接クビには出来ないが、来年の人件費
予算は4人分しか出せない。あとはお前らで考えろ」と言って来たのです。

当時は日本でもバブルがはじけた最中ですので、いきなりデザイナーとし
て独立する、という事は難しい選択でした。

まあ、仮に独立するにしても「景気が悪いからといって、すべてのデザイン
会社がつぶれているわけではないだろう。こんな世の中だからこそ、儲か
っている会社もあるはずだ。そうであれば、それはどんな会社だろうか?」
と自問自答してみたのです。
そして、活躍しているデザイン会社をいくつか探し、その特徴を探ってみま
した。(私の企業調査の原点はここにあります)

すると、成功している会社は

「デザインがうまいのは当たり前。プラスその会社の強みというものを明確
に持っている」

のでした。

すなわち、
「この業務は女性マーケティングだからこの会社」
だとか、
「このプロダクトは東南アジアで生産するので東南アジアの生産調整に強
い会社」
だとか、
「本社が米国なので英語での直接折衝のできる会社」
といったことです。

では、デザイン(も、そもそもそんなに強くはないのですが)以外に自分に
強みといえるものがあるのか?と自問したとき、まだ自信を持っていえるも
のがなかったのです。

どんなものが強みとして自分に加味できるだろうか?とかんがえたとき、
コーポレートコミュニケーショングループだったのです。

このグループは自分が属していたデザインの上位に位置し、トップは上席
副社長、マネージャークラスはほとんどプロフェッショナルとして職能認知
されており、しかも職能団体も存在していました。

当時働いていた日本の子会社には、コミュニケーションを部門横断的に考
える組織や担当はおらず、チャンスと考えた私は広報部長に直談判して
「来年度の私の人件費を買ってくれないか?」と相談していました。

広報部長としても、あまりに無謀な賭け(私の働きがどのぐらいの貢献に
なるかは未知)をするわけにもいかず、
「まずPRマネージャーとして働き、その上でやるのなら認める」
というオファーをくださいました。

やりたいことがはっきりしていると、どんなに忙しくてもまったく苦にならない
から不思議です。

ここから、わたしのコーポレートコミュニケーションへのチャレンジがスタート
しました。

つづきます。

2006年08月21日(月)更新

奇異なキャリア(その1)

なぜ、今、コーポレートコミュニケーションなのか?

それを探るべく、今回から何回かに分けて、私自身の奇異な出自を
すこし紹介させていただこうと思います。

以前にも何回か書きましたが、私自身は美大のデザイン科を出てい
て、専攻は工業デザインでした。

普通の大学を出た友人が、「就職とは就社であって、実際どんな仕
事をするのかは、入社してみないとわからない」というのとは違い、
入社前から明確に「欧米向けの電卓やパソコンなど電子機器の意
匠設計」をする、というのはわかっていました。

「人生どんぶり勘定で、良いときも悪いときもある」とはよく言ったもの
で、中学・高校時代の抑圧された(おおげさですが)男子校生活と
(多少の)受験勉強の反動か、大学に入ったとたんに相当数のネジ
が飛び、4年間というもの、勉強はさらり、遊びは全力投球の毎日で
した。

そんな自分にオファーを下さったのは、当時自分が聞いたこともない
外資系のハイテク企業。「やったー!ラッキー」と入ってみたものの、
そこで待ち受けていたのはレベルの高い少数精鋭のプロ集団。
当然仕事についていけるはずもなく、気の小さい僕は 1年目で心身
症になりかけました。

本当の意味で仕事を覚えるのに、3~4年は優にかかったと思いま
す。
しかし、それ以上に大変だったのがクリエイティビティ、創造性です。
私自身は絵(表現)が下手だということ以上に、新しい発想を具体化
して提示する、という能力に欠けていました。
これってデザイナーにとっては決定的で、先輩も、この先、こいつを
どう煮たら食えるようになるのか?と業を煮やしていました。

しかし耐えながら周りを見回してみると、デザインの仕事の周りには、
色々な仕事が取り巻いていることがわかってきました。
マーケティングから、メカニカルエンジニア、ソフトウェアエンジニア、
資材調達、品質管理まで。

新しい提示は出来なくても、そのような人たちがいったい何をしていて
何を求めているのか、は、誰よりも良く理解することが出来ました。
同様に彼らのほとんどが「デザインっていったいなんだかわからない」
といっていたのでした。

「じゃあ、他者(他の業務プロセス)理解に長けたデザイナーっていう
存在価値もあるのでは?」と開き直ったとたん、異様にもてるようにな
りました。
両方の言葉がわかる、という事はインタープリーター(翻訳者)のよう
なもので、それぞれの業務が高度化していく中で、そのニーズが高ま
って来たのです。

それから数年、仕事が楽しくてしょうがなくなりました。
北米だろうと東南アジアだろうと、ヨーロッパだろうと、とにかく呼ばれ
ました。私としてはそれぞれのプロの求めるものを咀嚼し、プロジェクト
の中で最適化していくお手伝いをするだけでした。
しかし、いわゆるプロジェクトマネージャーではないのです。

こうやって単なる工業デザイナーが横道にそれていき、89年にはすでに
スクリプトベースですがFTPを使ってCADデータやデザインデータを米国
やヨーロッパとやり取りを始めていたのです。

もちろんこれは僕自身の発案やアイディアではなく、使えない僕をどう
使おうか苦慮した結果、このような道を提示してくれたマネージャー(命
の恩人)の存在があったからです。

つづきます。

2006年07月26日(水)更新

【明大生との毎週一問百答】お客様との相性や苦手意識の克服

仕事をしていて個人的に「相性が悪い」とか「苦手だ」と感じることはほと
んどありません。
なぜかというと、お仕事を通して実現したいこと、最終的に到達する先に
いる人の事を考えるからです。

私はこんな風に考え、コミュニケーションしています。
どんな仕事にも発注者の「理由」があって発生しています。
ただし、「こうして欲しい」といわれたことをすれば良いというわけではない
と思っています。その点で考えなければならないときがあります。
その判断基準ですが、

世の中にとっての正解

クライアントの会社にとっての正解

クライアント自身にとっての正解

違う場合があります。

ただし「私の考える正解」を押すことはほとんどしません。
真のクリエイティビティと、仕事における正解とは「共感」を呼ぶものだと
思います。
共感を呼ぶには上記のようないくつかのグレードでの他者理解が必要
です。考えても考えても尽きないことですが。。

話がずれましたが、こんなことを考えていると相性や苦手意識などは
瑣末な問題だと思えてきます。

逆に、やりにくいな、と思った人との仕事でミラクルが起きたりするので
そんなサプライズが仕事の喜びだったりします。

2006年07月13日(木)更新

メディアの変化に見る単位時間の移り変わり

先日、仕事帰りにお世話になっているPRエージェンシに立ち寄り、
社長やお客様を交えての長いミーティングから帰ると、ふとつけた
テレビに美輪明宏さんが出ていました。

モデレーターのみのもんたさんは、かなり気構え手質問していた
のですが 「少子化」の問題に触れたとき、美輪さんのコメントがふ
るっていました。

「昔は人生50年、といったが、今は平均寿命も延びてほとんど倍
じゃない。
だけど、人の感応力が変わらないとすると、それだけ生きる密度が
薄くなったんじゃないの?。
その結果として生や性に対する感性がそれだけ希薄になったのな
ら、少子化になるのは明白よ」
実は日曜日、布田天神の骨董市でシングルレコードを4枚買いま
した。

三波春夫「21世紀の宇宙音頭」
大信田礼子「同棲時代」
ポップトップス「マミーブルー」
サイモンとガーファンクル「アメリカ」

朝早く会社に来て、これらを聞いていたのだが、なんだか音楽の聴
き方も上のコメントと同じようにかわったなあと感じました。

昔は3分間をいとおしむように、お小遣いはたいて買ったシングル盤
を繰り返し繰り返し、聴いた ものです。
それがLPになり、22分を楽しんだ後、裏返す、という儀式。
CDには裏表はなく、70分間一気に聴く。
これがアイポッドになれば10時間だってノンストップですよね。

しかし、便利になったけど、それによって1曲1曲を味わうことがしづら
くなったのではないでしょうか。
繰り返し1曲を集中して聴くことも無い。
逆に言うと、今の曲は繰り返し聴くと結構早く飽きてしまう曲が少なく
ない気がします。
「恋のマイアヒ」を3年後に続けて聴く事はできるでしょうか?

今また、ダウンロードで1曲ごと買うようになったけれど、ジャケットも
歌詞カードもありませんので、そういう意味でも昔と同じ聴き方は出来
ません。

大局的に見ると技術の進歩が激しく、ツールの導入やその選択に
寸断の余地も無いような世の中です。
その中にどっぷりいると、どうしても浮き足立ってしまいます。

「ひとつの想い、それをしっかりと伝えること」

それを大事にして、それで食べて行きます。

「どれだけ食べられるか」

それは僕達が、どれだけお客さんの想いをくみ取れるか、にかかって
います。そして、その力はもっともっと鍛える余地があります。

2006年07月04日(火)更新

あなたの仕事は何?

不思議なもので、講演やセミナーの機会は、それを積み重ねるごとに
また、問い合わせがすこしずつ増えてきます。

先週、約6年ぶりぐらいに昔仕事でお世話になったセミナープロデュー
サーの方と再会しました。

彼は、「今、ある地方の産業人材育成センターで、新しいプログラムを
企画しているのだけれど、ぴったりの人材をWEBで探していたら雨宮
さんの名前が出てきた」とおっしゃってわざわざ会いに来てくれました。

安普請なSEOなどしなくても、きちんと種まきしていれば、結果は出て
くるものだなあ、とちょっぴりうれしかったです。
そういう時は、「どんな講義ができる」というような、レジメベースのお話
をするよりも、今まで、どんな思いで仕事をしてきて、今、どんなトピック
があり、課題と感じているか、というお話をするほうが、企画がピタピタ
と決まっていきます。
 
そのプログラムは10数回の長いもので、私は最初の2、3回を担当する
予定ですが、今からとても楽しみです。

常日頃、「で、雨宮さんの会社の仕事ってなんなの?」と聞かれることが
少なくありませんが、仕事の結果として出すアウトプットはWEB制作だ
ったりもしますが、私たちは企業コミュニケーションに関わる人材をサポ
ートしながら育成することだ、と思っています。

コミュニケーションの仕事は、相変わらずアウトプット偏重で、本来そこに
関わる人的な問題がずっと置き去りにされてきていると感じます。

人事関連の会社でも教育が非常におおきなウェイトを占めてきている現
在、そのなかでもコミュニケーションに関わる教育の重要性が問われて
いる気がします。

夏前に自社WEBサイトのリニューアルを計画しています。
そのときに思い切って明確なメッセージを伝えられるようにしたいと考え
ています。

2006年04月20日(木)更新

勇気は自信に先行する

「経営者会報ブログ」編集部より、以下のようなお題が届きました。
=====================================================
経営者会報編集部の大西です。
14日にご案内した、「久米信行さん明大講義に参加する学生さんから
の質問」がさっそく届きましたので、お知らせします。

(引用開始)
明治大学商学部3年の遠藤です。

<質問>私は将来起業家になりたいのですが、起業家になくてはなら
ないものをひとつ挙げるのであれば、どのようなものですか?また、そ
れは、どのように身に付けるのでしょうか?
(引用終わり)

我こそは、とお考えの経営者の方は、さっそく質問にお答えいただくと
ともに、ぜひ、この記事にトラックバックを貼っていただければと思いま
す。

みなさまからの、熱いコメントをお待ちしております!
=====================================================

学生のうちから、将来の起業を見据えている、という時点で、すでに
「すごいしっかりしているなあ」という感じです。

私自身、30過ぎる頃からヘッドハンターと付き合うようになり、その
際に「将来どうしようと考えているんだ」と言われて初めて意識したよ
うな次第ですし、そのときは、まあ40ぐらいで、とのんびり考えていま
した。

実際はうっすらそんな意識を持ち続けていただけででも、独立の機会
は思ったより早くやってきました。

反面、15年もサラリーマンやってきた人間が、いきなり下野するとい
って、一体何をすればいいのか、どうすればいいのか、まったくわかり
ませんでした。
「会社の設立方法」という本は、1000円も出せば本屋で入手できま
す。

しかし、「自らに独自性と可能性があると思う」からビジネスを興すわ
けで、それぞれがユニークケースですから、どこにも教科書がないの
が実情です。

私自身にとって一番大事だったのは、まるで農耕民族から狩猟民族
への意識変換をするための勇気。
それだけのような気がします。

勇気を得るためには、、もちろん家族や友人、そして仕事を通して培っ
てきた人の縁があったからだと思います。

ただ、一歩踏み出すのは自分自身です。
やってもやらなくても、人生。

「勇気は自信に先行する」

この言葉は小学校時代の親友、佐藤純一くんが、小学校を卒業する
ときに送ってくれた言葉です。
いまだに支えになっています。

2006年03月30日(木)更新

「コミュニケーション・プロフェッショナルの時代」

美大を出て10年、外資系企業で工業デザイナーをやっていた当時32歳の僕は、心の中でただ茫漠と「40ぐらいになったら独立するのかな」と思っていました。

そのころ、たまたまひと月以上アメリカに出張する機会があり、そこで知ってしまったのです。

本社には「コーポレート・コミュニケーション」という部署があり、トップは取締役。そして部門を越え、企業のメッセージやビジョンを企業の外や内に伝える。
そこで働く「プロ」のコミュニケーターは、半導体から国防関連機器、子供用教育機器まで多岐にわたる事業部の部門間のエゴを解決し、巨大な企業の未来を照らすガイド役を担っていました。

当然自分が所属する日本の子会社にはそんな部署も職能も存在していませんでした。
周りの日本企業を見回しても、ほぼ同様でした。

ドンキホーテになるか。次代を担うキャリアを築けるか。

自分のチャレンジはここから始まりました。
結局はじき出されるように自分の想いで働き始めたのは30半ばでした。
おりしもインターネットの商用利用がスタートしたタイミング。これも機縁にほかなりません。

会社を経営すること、お客様と仕事を通じてお役に立てること、セミナーや講演でのご縁。すべてコミュニケーション・プロフェッショナルとしての「自分の仲間を作りたい」という想いからの発露です。

このブログでは日々の雑感や気付きに加え、可能な限りオンラインコミュニケーションの話題や、まつわる企業や人、サイトを紹介していきたいと思います。今後ともよろしくおねがいいたします。

久米さん、
ご縁をつむいでいただきありがとうございます。
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会社概要

1999年2月創業。 ビジネスにおけるインターネット活用経験は日本のインターネットの発展の変遷とほぼ同期しており、豊富な経験を有する。 主宰者は企業広報から自己啓発でWEBマスターになった経験から、今後オンラインを中心とした企業コミュニケーションが重要になるとの思いで独立、創業した。...

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個人プロフィール

美術大学デザイン科を卒業後、12年間工業デザイナーを勤める。当時勤めていた外資系メーカーで本社出張を重ねるうち、本社の親組織で行っている「コーポレートコミュニケーション」の役割と重要性に魅了され、セルフリストラして広報部に社内転職。自ら部門を超越した「コーポレートコミュニケーション」を実践する...

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